ねこのコロブチカ
コロブチカというのはロシア民謡でニコライ・ネクラーソフが発表した長編詩「行商人(コロベイニキ)」の一節に由来しています。
日本ではフォークダンスとして流行り、世界ではテトリスのゲーム音楽として流行・定着しました。
まず、これに「ねこのコロブチカ」ということで、日本語の歌詞をつけます。
ねぇこの気持ち 伝えたいよ
ねぇこのコロブチカ
好き大好き 好き好き大好き
ねぇこのコロブチカ
はい、もうあなたにはこの曲は「ねこのコロブチカ」にしか聞こえなくなる。
動画ではフォークダンスとして踊っているものがありますが、これを三毛猫と黒猫のダンスにします。
つまり、「ねぇこの気持ち」の「こ」で、お互いが右手でハイタッチして、右回りに一回転。
次に、「伝えたいよ」の「た」でお互いが左手でハイタッチして、左回りに一回転。
それでもって「ねぇこのコロブチカ」でお互い一礼する。
複数の組でやるときには、輪の形を作って、山手線と同じように、内側が左回り、外側が右回りで、パートナーと内側・外側を曲の節目ごとに入れ替える。
だいたいこれだけ考えるのに○時間ぐらいかかるんだよね。
もちろん、今書いている小説の中で使う予定(話の中では3日目のエピソードぐらい)。
ブログ記事の数が今日の奴を入れて998なんで、そろそろなんとかしたいです
なんとかする、というのはキンドルのKindleDPにする、ということ。
校正(漢字表記の統一その他)がめんどくさいのと、どうでもいいのを省くのがめんどくさい。
どうでもいいのもそのまま載せて、校正もしないでまとめてみようかなあ。
リアル本(同人誌)にするのは、もう印刷代と場所代から考えて無理なのだった。
あと、松岡正剛じゃないんだから、リアル本が売れるわけがない。『松岡正剛千夜千冊』だって、ぼくはリアルで持っている個人の人は、本を作るのが商売の人を除いては見たことがない。図書館によっては置いてあるところもありますけど、借りて読むのも大変なので、だいたいネットで読んでいるだろう。
値段をつけるのもめんどうくさいので、前のものと同じ価格にする予定です。100円ぐらい。量は多分すごく増えてるはず。
最近取りはじめたふたつのノート(メモ)
ひとつは、「ライトノベルのテキストでよくある文例集」。
・柔らかな感触
・小首を傾げる
・こくこくと頷く
・足元がぐらりと揺れた
・たたらを踏む
・なっ!?
以下略。
もうひとつは、「本や映画で見た、知らない用語集」。
・リバイバル (キリスト教)
・アンドレ・プレヴィン
・西大寺(さいだいじ)
・乃利武
・GEDクラス
・コラードグリーン
以下略。
この、「知らない用語集」ってのは、ネットで調べはじめるとやめられなくて、映画とか小説を見たり読んだりするのより面白くなるのが困る。
西大寺というのは岡山にあるお寺で、西日本最大の裸祭りがあるところです。
じゃあほかに、どういう裸祭りが全国ではあるの? ってことで調べはじめちゃうんだよなあ。
村上春樹みたいに朝に小説を書こうと思ったけどひと月ぐらいで無理だとあきらめた
なんかこう、寝る前に小説の中の登場人物のことを考えて寝るとか、そういう器用なことできない。
朝は朝で、ジョギングしてシャワー浴びて小説書く、なんて規則正い生活は、できなくはないんだろうけど、なんか違うんだよなあ。それはぼくの生活ではない、みたいな感じで。
結局、夜中に後で後悔するに決まってる恥ずかしい小説のようなものをコツコツ書くことにしてみました。1回分のテキストは1500字ぐらいで、これを寝る前に書く。
以前は映画見て、睡眠導入剤飲んで12時ぐらいに寝てたんだけど、映画なんて見ている暇がなくなった。
小説のようなものはこちらです。
kakuyomu.jp 9月か10月末ぐらいまでには終わらせる予定。
次回作もだいたい素材集めが終わったので、10月になったらはじめる予定。
小説のネタのアイデアメモ・夢日記なんて、どうせ使わないから作るだけムダ
これはいい考えだ、とか、この夢の物語は小説に使えるかも、と、なんでもメモしておいても、ぼくの場合はどうもうまく使えない。そういうのは物語を作る人の、作りかたの違いなんだろうな。要するに、そういうメモを有効利用できる人とそうでない人がいる。
ぼくの場合は、とりあえず頭の中にしまっておいて、何日か経っても思い出せる(忘れない)ようなことだけを、夜中にブログに書いておく。メモではなくてノートみたいなもんですかね。小説(物語)には使えないネタのほうが多いです。
とある女子高生の会話
いつもは乗ったことがないバスに乗ったら、電車とは違って隙だらけの女子高生がこんな会話をしてました。
「…でさあ、キムラっているじゃん、あの超フリョーっぽいの。それがさー、何があったか知らないんだけど、ひと月前ぐらいから真面目になっちゃってさー」
「えー、何それ」
「なんか、髪もばっさばさだったのが、きれいにしちゃって、「おはよう!」とか言うんだよ」
「それもう絶対変だよ。あいつフリョーって、学校中みんな知ってるじゃん」
「だよねー、で、もともと顔悪くないし、ベンキョーだって出来るっていうか、バカじゃないよね?」
この話はネタになるかもしれないと思って、最後まで聞きたかったんだけど、バスを降りてからは一応警戒して、キムラの話はあまりしてくれなかった。
これから、面白そうな話をしていそうな女子グループがいたら、さりげなく、犯罪にならない程度に尾行してみたい。
しかし記憶に基づいてテキスト起こししてみると、これ、近所のオバさんの立ち話でも全然違和感ないな。
「りとした」という形容詞を使いすぎるとバカみたいに見えるので避ける
最近どうもライトノベルのありふれた語句コレクションというのをやりたくなりました。
陶磁器のような肌
ふんわりとした髪
残念な胸
なっ…!?
こんな感じ。
で、思ったのは、「りとした」という語を使わないとだいぶ文章がいい感じになるかな、ってことです。
だらりと空を見上げる
のんびりと空を見上げる
ぼんやりと空を見上げる
しかし代わりの案がうまいこと思いつかない。
「昭和20年8月15日の玉音放送を聞いたあとの日本国民のように」
「初代ゴジラが芝浦を荒らして海に戻ったのを見送っている東京都民のように」
「小津安二郎の映画の中の笠智衆みたいに」
とか、いろいろあるんだけど、元ネタが一般的じゃないのも困るしなあ。