砂手紙のなりゆきブログ

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作家と読者と床屋(ブラッドベリ)

 家の近所の床屋が閉店した。もう家の近所には小売関係は魚屋も肉屋も花屋もないので、昔からあったのは本屋と床屋だけだったのに。
 寿司屋は安いチェーンの居酒屋になって、ケーキ屋は安いチェーンの食い物屋になったあと、携帯電話ショップになってる。見渡すとみんな安いチェーンの店か携帯電話ショップかシャッター下ろしてる。買い物は車でショッピングモールの中のスーパーに行けば、肉も野菜も魚も買えるし、1000円均一の床屋もある。誰も小さな駅前の商店街になんか興味持たない。
 床屋が潰れないのは、多分一度散髪してもらった床屋に、その人は死ぬまで通うからだと思う。
 だって面倒じゃないですか、いちいち月イチで髪の毛をやってもらうのに、別の店に行くってのも。違う店に行ったら違う髪型になっちゃいますからね。あれは、客が来るから商売を続けてるのか、商売を続けてるから客が来るのか不明だけれど、小学生から同じ床屋に何十年、という人がいたっておかしくない。
 ただ、やはり店の主人も年とるわけで、普通の人間が定年になったら、同じぐらいの歳で店じまいしたくなるのはあるよね。それで子供が後を継がなければその床屋はおしまい。
 弁護士・医者・政治家は後を継ぐ人が多いみたいだけど、そうじゃない自由業・自営業の人はだいたいそんな感じ。
 ぼくの心の中では、床屋と客の関係は編集者と作家みたいなもんかな、とか思う。床屋(編集者)は別に新しい客(作家)とかを、店ができてからしばらく経ったあとはそんなに熱心に開拓しない。いつもの客と同じように歳を重ねて、新しい床屋には新しい(若い)客が行く。
 作家と読者の関係も多分同じで、若いときに読んでいた作家を、いつまでも読む。その作家が死んだら、別の死んだ作家の作品を読む。
 死んだ作家のいいところは、もう新刊が出ないというところで、生きている作家が(その作家より年長な人間にとって)面倒なのは、読者であるぼくが死んでも多分面白い作品を書き続けるだろう、ってことですかね。
 スティーヴン・キングなんて死ぬまでに長編もう10作ぐらい書きそうだけど、若い読者はちゃんと読んでるのか気になった。1980年代にキングの読者になった若者が、30年間読み続けてたらもう50代だよね? でもそういうことはありそうだ。
 レイ・ブラッドベリは90歳近くまで書いてたけど、あれ、毎週短編1つ書いて編集者に送って、5作に1作ぐらい拾って毎年本にしてたみたいですね。実質執筆時間は毎日2時間で、仕事がピークだった1950年代にだけは4時間仕事したこともあったそうです。