砂手紙のなりゆきブログ

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漫画『はだしのゲン』の名前(人名)に関する古典部の仮説(氷菓)

 なんかアニメ『氷菓』の話ばっかりだな。
 以下に述べることはでたらめです。

える「それでは、漫画『はだしのゲン』の主人公の名前がなぜ「元(ゲン)」なのかに関するわたしの仮説を言いますね。まず、この漫画が最初に連載されたのが週刊少年ジャンプという少年誌だったこと、作者の中沢啓治さんが広島の被爆者であることが関係あると思います。少年誌では「元気」が大事ですよね? 生まれて来た子供に関しては「友達がたくさんできるように」ということで、「友子」という名前がつけられてます。同時にこの名前は「原爆」の「げん」でもあります」
奉太郎「却下だな」
里志「悪いんだけど、千反田さん、ぼくも却下だね」
摩耶花「わたしも却下。いい、ちーちゃん、ここで考えなければならないのは、作者の中沢啓治さんがどうしてその名前にしたか、じゃなくて、話の中の父親、中岡大吉さんがなんでその名前にしたのか、ってこと。つまり、作者がどう考えてるかというのは別の次元の話なのよ」
える「えー!? では、わたしの説は一時取り下げにしますので、摩耶花さんの説を聞かせてください」
摩耶花「まず不思議なのは、子供たちの名前なんだよね。順にあげると、長男が浩二、長女が英子、次男が昭、で、三男が主人公の元(ゲン)、四男が進次、次女が友子、の6人。まぁ確かに時代の名前だよね。特に「昭」ってのは昭和の年号が始まったころによくつけられていた名前。ただ、長男が「浩二」ってのはおかしくない? 子供が多かった時代、名前に「数」を入れたり、「太郎」「次郎」ってつけるのも普通だけど、それだと「浩太郎」とか「浩一」にするよね。中沢啓治さんによると、もとのキャラの名前は「長兄・浩平、姉・英子、次兄・昭二、作者本人(啓治)、弟・進、妹・友子」。これだと不自然さはないよね。じゃあなんで名前を変えたのか」
 ちょっと茶を飲む。
摩耶花「わたしの推理では、浩二と昭は、お母さんの子供じゃないんじゃないか、という説。つまり、浩二さんは子供の産まれない中岡家に、親戚からもらってきた養子。で、そのあと実子ができたんで「英子」「元(ゲン)」「進次」という名前にして」
里志「面白いけど、漫研の摩耶花に言っちゃ何だけどさ、浩二と元(ゲン)とは顔すごく似てるよ。とりあえず却下」
奉太郎「ちょっと考えるところがあるが…昭が長男でもいいんじゃないか、ということで却下」
里志「次は僕の番だね。戦前、って言うと分かりにくいけど、大正から昭和のはじめ、って言えばわかるんじゃないかな。大正デモクラシー、蟹工船、労働者よ団結せよ、うーん、駄目か。プロレタリアート芸術だよ。実は父親の大吉さん、下駄の絵付け職人なんだけど、蒔絵と日本画の修行のために京都に行ってて、その時に芝居に関係してるんだ。1927年9月10日・12日、前衛座による大阪京都公演『カイゼリンと歯医者』その他だね。その時のポスターがこれ。で、長女の「英子」って名前だけれど、当時の名前としてはリベラルじゃないかな? 日英同盟は1921年に廃棄されてて…あー、ごめん、データベースは結論を出せないんだ」
 みんなでお茶を飲む。
奉太郎「では俺の考えを話す。まず里志、大吉さんはプロレタリアート芸術に興味を持ったかもしれないが、このポスターは前衛すぎて駄目だ。当時の流行にしても、日本画と蒔絵という、日本の古典芸術の流れから外れている。ただ、名前にリベラルな要素を盛り込むという案はあるだろう。流行でもなく前衛でもなくてほどほど反体制で、広島で「元(ゲン)」のつく名前は、広島市民、いや、広島県の西部の住民なら誰でも簡単に思いつく」
 ここで茶を飲む。
奉太郎「毛利元就しかいないだろ。戦国時代の安芸国領主で、天下統一という体制に逆らった大名だ。なおかつ、伊原の説も面白い、つまり浩二が長男ではなかった、という話だ。そうなると元(ゲン)は三男ではなく、幼児の時に死んだ長男がいて、4番めの男子、ということは…」
える「げんし(元四)ですね!」

俺「タメ長いよ。そんなの推理してないで著者に聞け」
 中沢啓治さんは2012年12月に亡くなってますんで聞けない。
 あとこれ、Twitterなら多分140字で書けるよね。
 それより、なんで千反田さんが「える」なのかのほうが気になります。