砂手紙のなりゆきブログ

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モンローの伝記下訳何万円?(丸谷才一)

 丸谷才一が連歌として残したものに、

モンローの伝記下訳五万円

 というのがあります。
 丸谷才一の『挨拶はむづかしい』、1983年10月13日、帝国ホテル、古井由吉『槿(あさがお)』谷崎賞贈呈式での祝辞の前文テキストによると、古井由吉丸谷才一に、「その句の五万円はいつごろの五万円なのか」と質問したらしいです。確かに気になりますよね。
 その時の回答は「昭和三十年代初期の五万円」で、当時の丸谷才一の月給は「一万円になるやならずであった」とあります。
 ちょっとおかしくないですかね?
 というのはそもそも、マリリン・モンローの伝記は昭和三十年代初期(1955-60年ぐらい)には出てないんです。いや、実際に出てて丸谷さんが下訳やってたら、連歌としての面白みに欠けちゃうかな。
 この句が連歌「新酒の巻」として発表されたのは文芸誌「図書」昭和49(1974)年3月号ですが、実際に詠まれたのは1973年暮~正月ぐらいですかね。参加者は石川淳丸谷才一大岡信、安東次男の4人。
 まず石川淳が発句「鳴る音にまづ心澄む新酒かな」とはじめます。
 1974年にはローレンズ・ガイルズ『マリリン・モンローの生涯』(中田耕治・訳)というのが実際に出てますが、多分これが最も初期のマリリン・モンローの伝記です。
 だいたいビートルズとかケネディとか黒澤明とか、有名人の評伝・伝記というのは当人が死んだり解散したりしてから出るように出来ています。没後10年後ぐらいですかね。
 生きてた時代に書けなかったことを、生きてた時代のことを知っている人が書くから面白いわけです。
 しかし実際にモンローの伝記出ちゃって、丸谷才一さんも中田耕治さんも困っちゃったろうなぁ。中田耕治さんが下訳使ってたかどうかは不明ですが、使ってたとしても「5万円」はないと思う。1974年には丸谷才一さんは「伝記の下訳」などをやることはなかったでしょうしね。
 なんで丸谷才一の句に「マリリン・モンロー」が出て来たかというと、その前の石川淳の句と関係があるんです。

島ぐるみ住替る世と便り来て 流(安東次男)
引くに引かれぬ邯鄲の足 夷(石川淳

 この「邯鄲の足」というのが、「邯鄲学歩」という語句に由来してるんですね。『荘子』秋水篇。
 公孫竜が魏牟に「一生懸命勉強してるんだけど、荘子になかなか追いつけない」ってボヤいたとき、魏牟が「寿陵の若者が趙の国の邯鄲まで出かけていって、歩き方を学ぼうとした話って知らない? そんなことしても自分の歩き方を忘れるだけだよ?」って言ったということになっている故事に基づいた語です。
 要するに、「邯鄲学歩」ってイメージから「モンロー・ウォーク」につながるのはごく普通ですよね。「バルドーの伝記」とか「ルビッチの伝記」では前句からのつながりにならないです。
 丸谷才一の句を受けた大岡信は、

どさりと落ちる軒の残雪

 と返します。
 丸谷才一の句に関しては、石川淳は「苦心惨憺の悪作」と評しています。
 今の価格に直すと、モンローの伝記下訳は100万円ぐらいかな? そういうのの相場はとんと検討がつかないです。