砂手紙のなりゆきブログ

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喜劇映画はなぜ笑えないのか(駅前シリーズ)

 勉強というか暇つぶしのために、駅前シリーズで見られるものとか、珍道中シリーズとかを見たんですが、どうもうまく笑えない。笑いのツボがどこにあるのかさっぱり分からないですね。
 昔の、古今亭志ん生の落語は笑えるんで、ギャグが古いとか新しいとかいった問題じゃなくて、多分これは「間」というか、笑いのタイミングが、ライブのほうがつかみやすい(演者も聞き手も)というのがあるんじゃないかと思います。
 つまり、笑いのリアクションには「すぐ笑う人」と「みんなが笑ってるのを考えて、やっと笑う人」というのがあって、それはその場にいる観客を、演者が把握して、演技に取り入れるようにしないと駄目なんだろうなぁ、という感じです。
 落語家も、ラジオで流しているのじゃなくて、客がいたほうが楽しいと思います。
こういう「ライブ」のうまい人・楽しい人というのは、本当なら映画という複製芸術ではなくて、舞台での劇やコントをそのまま残しておくべきだと思いました。
 ただ、「駅前」シリーズでも、三木のり平が出てきてるショットだけは不思議に面白い。もうびっくりしてしまうくらいアドリブ感覚を生かしてます。このセンスは本当、何なんだろうな。
 ライブが面白いというのは、別にお笑いに限らないでたいていのジャンルがそうなんで、有名どころのモダン・ジャズを首ひねりながら何百枚も聞いているより、小さなところで、名前もそんなに知られていない人たちの生演奏を一度でも聞くと、なんてジャズは楽しいんだ、ってわかります。
 複製芸術の多くは「間」や「ノリ」のコントロールが、観客にも演者にもできないところが限界あると思います。お笑いの複製芸術では、漫画・小説など「読む」系のものがが数少ない例外でしょうか。本、っていうのは、自分で読む時間をコントロールできますからね。