砂手紙のなりゆきブログ

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映画の終わらせ方と後期クイーン問題

 後期クイーン問題というのはあまりよく知らないんですが、雑な知識で言うと「このお話(推理)をここで終わらせるのが本当・正答なのか」ということなんじゃないかと思います。

 つまり、名探偵が1つの「合理的な解決」で謎を解いてみても、それは本当に真実なのか、実際のところはよくわからないんですよね。

 本やテレビドラマだと、だいたいこのあたりまで来ても「偽の真実」しか出てこないから、もう少し読んだら「名探偵が告げる合理的な謎の解決」が出てくるんだな、と推測しますよね。でもそれは「この宇宙での真実」でしかないかもしれない(この宇宙が正しいって、誰が決める?)。

 だいたい後期クイーンが面白くて仕方がない人は、というかぼくの場合は初期クイーンをあまり知らないんですが、コリン・デクスターをお勧めします。本格ミステリーが「型」の面白さという、いささか古びた趣向になっている(と思われる)時代からはかなり外れていますが、この中のモースという探偵は延々と考えます。
 映画の場合、「この結末は真実なのか」という問題は、映画の中の世界がすでに役者という偽存在によって作られている偽世界なので、真実・偽についてはさらにややこしいことにしようと思えばなります。

「この世界は虚構の世界です」と暗黙裡に言っている中で展開する虚構の世界の物語に、どうやって結末をつけることができますかね。

 映画『バニラ・スカイ』や『ゲーム』のラストに納得できないだろ普通。

 俺にとって納得できるエンディングはジャッキーチェンのエンドロールで展開されるNG集だけですよ。