砂手紙のなりゆきブログ

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たぬきのうしろで大地震(山田五十鈴)

 高井英幸『映画館へは、麻布十番から都電に乗って。』(角川文庫)という本を読みました。1960年代に東宝に入って、21世紀に東宝の社長をやった人の回顧録です。えらくなってからの話はあまり書いてないのが残念ですが、やはりいろいろ書けないこともありそうなんで、だいたい話は映画『連合艦隊』『細雪』などのプロデュースをやったあたりのところまで、自分が世に出した映画(どちらかというと映画体験と洋画配給の話が半分ずつぐらい)で終わっています。交遊録とか悪口(裏話)とか、そういうのほとんどないので、やはり社長になる人は違うな、と思いました(失敗した映画の話はほんの少し、残念そうに話します)。
 世代的にはだいぶ違うので、日比谷映画で007が大ヒットしたとか、昔の日比谷の東宝映画館の話は、なんとなくしか分からないんですが、『第三の男』は2週間しかロードショーやらなかったとか(その後にやったのは何だったのかさっぱりわからなかった)、『チザム』のチケットにダフ屋が出たとか、もっといろいろ調べたいことが書いてありました。
 話の中では一番面白かったのが、映画『大地震』を公開する時に「センサラウンド」という、今までにない体感効果を狙った音響設備をつけた話で、ハリウッドから世界中の映画館にそのシステムを導入して回っている音響技師がやってきて、本気出してセットしたため、どう考えても本物の地震としか思えない揺れ具合で、築40年の有楽座は天井から埃が落ちまくるほどの威力。今だったらこんなの許されない気がする。
 で、自信満々で1974年の暮れに公開したんですが、映画館の隣では山田五十鈴さんが座長で、もうこれも三味線の名演技が語りぐさとなっている『たぬき』を上演中の、その三味線の見せ場でグラグラッと来ちゃったんですね。大の地震嫌いの山田五十鈴さんは、それが映画のせいだとわかると大激怒。平謝りの末なんとか改良をはかってみるんだけれど、どうしようもないので有楽座だけはフルスペックでの『大地震』上映はあきらめたそうです。
 1970年代までの日本って、いろいろすごかったんだな。
 山田五十鈴さんの三味線はあちこちに映像・音声が残っているので聞いてみてください。