砂手紙のなりゆきブログ

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『虚無への供物』は何色の海に捧げる?


 虚無へ捧ぐる供物にと
 美酒少し
 海に流しぬ
 いと少しを

 というのは、ミステリ・ファンには有名なヴァレリーの詩ですが、堀口大学の訳詩「失はれた美酒」(『月下の一群』収録)を少し改変してあります。ちなみにこれと同じ詩が出てくる小説としては、山本有三女の一生』というのがあって、ヒロインが口にするんですが、ミステリ・ファンはあまりこんな本までは読まない。
 文芸評論家・加藤弘一のブログテキストで紹介されている中井久夫(『虚無への供物』の著者とは直接関係はありません。精神科の医者・ギリシャ文学の研究家として有名)の『若きパルク/魅惑』ポール・ヴァレリー(みすず書房)によりますと、元の題"Le vin perdu"というのは、第一次世界大戦で70万人の死傷者を出した"Verdun"(ヴェルダン)のアナグラムに由来するそうです。虚無とは戦死者の意味だったんですかね。
 それはそうと、美酒ってのはたぶん赤ワインだと思うんですが、ヴァレリーの時代はともかく、古代ギリシャ人は海の色をワインの色と同じに見てたらしいです。海の色って水色とか濃紺なんじゃないの? という人もいるかも知れませんが、じゃあボッティチェリの「ビーナスの誕生」って絵、知ってますよね? あれは緑色してます。ブルーじゃなくてグリーン系。由緒正しい川の色は緑色で、これは木の影を反映しているからそうなる。海の色は空の色を反映するので、なんか似たような色になる。
 世界で最初に海の水を「水色」に描いた人は印象派のクロード・モネなんじゃないかと思う。
 昔の絵画の海や川の色、見ていると面白いです。
 今日の話が嘘じゃないことの一つの証拠に、松平千秋訳の『オデュッセイア』からテキストを挙げておきます。巻二の末尾。

眼光輝くアテネは彼等のために順風を起し、
激しい西風が葡萄酒色の海の面(おもて)を、音を立てて吹き渡った。
(中略)
舟子たちは脚早き黒船の索具を結び終ると、
なみなみと縁まで酒を満たした混酒器を据え、
永遠に在す神々、わけても眼光輝くゼウスの姫神に、
酒を捧げた。