砂手紙のなりゆきブログ

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映画『お早よう』(小津安二郎監督)で酒を飲んでいる人(菅原通済)

 映画『お早よう』は1959年(昭和34年)の小津安二郎の映画で、東京の郊外文化住宅(今の目で見るとすごい貧弱な平屋ですが、押し売りに来た人は「ずいぶん閑静ないいお住まい」って言います)に住む平凡な家族が、子供のわがままを聞いてテレビを買う話です。
 小津安二郎の入門映画としては悪くない、というか滅茶苦茶面白いんですが、複数の家族と子供が出てくるんで、東洋人の顔の見分けがつかない西洋人には混乱するかもしれないな。
 あと、どの家がどこにあるのかも分かりにくいので、ぼくは図を書きながら見ました。
 それはともかく、映画の中でテレビを買う話を、半ば諦めたような感じでしてしまう(作ってしまう)というのが、なかなか当時の日本映画の状況について考えさせられます。
 同じ年には大島渚が『愛と希望の街』で監督デビューしてます。
 この映画では「菅原通済」という、ちょっと気になる映画俳優が出ます。頑固者の父親・林啓次郎(笠智衆)が、大阪弁の隣人でガス会社勤務の原口辰造(田中春男。この二人の息子は友人で、同じ中学校に通っています)と、テレビの「一億総白痴化」について話してて、「あなたはどう思いますか」と同じ飲み屋にいる客に聞く。この相手が菅原通済
 で、彼は「わかりますよ」「わかりますか」「よくわかります」「はぁ、わかるんですか」と、例によって口調が移りそうな小津安二郎調の問答を啓次郎とするんですが、この人のキャリアをウィキペディアで見てびっくりした。
 くわしいことはウィキペディアの項目を読んでもらえればいいんですが、本業は親の代からの実業家で、鎌倉文化人で、「一億総白痴化」という言葉の元になった大宅壮一とも友人(知人)だったりするんですね。
 要するに映画出演は余技、というかもう、完全に小津安二郎のお遊び。
 とにかく、なんで、何のためにこの映画の中に出ているのか、配役的に意味のある映画なのか不思議だったんですが、実社会での知り合いで、ちょっとお互いに出る・出すことに意味があったんですかね。
 同じ小津安二郎の映画『秋日和』では、寿司屋で、何故か貝が好きな客として出てきますが、やはりこれも本筋とは関係ない役です。ひょっとして新明解国語辞典の人(山田忠雄)とも関係あるのかしらん。
 こういうのは、どういうコネで出られるようになったのか、もう少し知りたくなります。ウディ・アレンの映画じゃないんだから、そんなに気楽に友人・知人がチョイ役でもセリフある役として小津安二郎の映画に出ていいんですかね。
 ウィキペディアでは骨董つながりのように書いてあります。