砂手紙のなりゆきブログ

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落語『天狗裁き』と『饅頭こわい』のキャラ立てについて(じょしらく)

 落語『天狗裁き』は、一人の男の見た夢を「どんな夢だったんだ」と問い詰める話で、男が言わないもんだから、奥さん→長屋の兄弟分→家主(町役)→奉行→天狗、とだんだんすごいものに問い詰められる話で、演じる側としてはどうか知りませんが、聞いている側としては「それらしく演じられているかどうか」というのが聞きどころになります。
 しかし考えてみるとそんなに難しくないですよね。素人の俺でもできそうな気になる。
 何しろキャラの役割ってのは非常に表面的に決まってるわけでありまして、奉行や天狗あたりになりますともう、完全に「フィクション(物語)としての役割キャラ」。記号になっちゃいます。学校の校長先生とか理事長みたいなもんですな。
 むしろなんとなく『饅頭こわい』のほうが難しく感じます。
 何しろ町内の若い衆が数人出てきて、それぞれにヘビとかムカデとか言うわけですが、これを近代・現代劇のやりかたで演じる(演じ分ける)ためには、その男がヘビが怖いためにどういう人生を送ってきたか、職人仲間としてどういう仕事についているか、まで考えないといけないと思うわけですよ。仮名手本忠臣蔵の塩冶判官役について考える淀五郎より難しいよ。
 真面目に考えてみたけど、「何がこわいのか」を聞いて、相談して饅頭を投げ込む話をまとめるキャラと、「つまんねーこと聞くなよ!」と言って饅頭が怖い(フリをする)男前のキャラしか普通には造形できない。あとはまぁ、可愛いこと言って無理にキャラ作ってる奴と、統合失調症かもしれない人ぐらいしか作れない。それからメガネとうぜぇ奴か。
 桂枝雀の演じてる奴動画で見たけど、これはこれで面白いです。