砂手紙のなりゆきブログ

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手塚治虫その他昔の漫画家と著作権(展覧会の絵)

 手塚治虫の自主制作アニメ『展覧会の絵』はヴァージョンが4つもある難物で、それについて話すだけでも今日のブログは目いっぱいなんですが、その中の使用楽曲については「"展覧会の絵"研究会   "Kartinki s vystavki" Research」というサイトで細かい分析がされているので見てください。要約すると、
1・手塚治虫はアニメ『展覧会の絵』で「秋山和慶指揮東京交響楽団によるラヴェル編曲」のものを使った
2・それを1967年度のヴェネチア国際映画祭に出展する際に、原曲のムソルグスキー1881年没)の著作権は切れているのだが、交響曲ヴァージョンであるラヴェル(1937年没)編曲の著作権が切れていないことがわかって大あわて
3・結局冨田勲にお願いして、一週間(一説によると4日)で別の編曲をしてもらった
4・しかも締め切りに間に合わなかった
 という、いかにも手塚治虫らしいオチです。
 どうも1970年代中ごろぐらいまでの、漫画家というか日本国内の著作権に関してはちゃんと許諾を得てやってたのか謎のものが多いです。手塚治虫による『バンビ』『ピノキオ』はディズニーが許諾して復刻されて、さらに手塚治虫文庫全集にも収録されましたが(この文庫全集は、あまり知らない漫画のヴァージョンがけっこうあって面白いです)、『丹下左膳 こけ猿の壺の巻』(おもしろブック1954年12月号)は林不忘(1935年没)の著作権保持者の許諾を得ていたのかわからない。
 藤子不二雄『ゼンダ城の虜』(三年ブック1955年6月号)は、アンソニー・ホープ(1933年没)の著作権保持者の許諾を得ていたのかわからない。
 モンキー・パンチルパン三世』(漫画アクション1967年8月10日号)はモーリス・ルブラン(1941年没)の著作権保持者の許諾を得ていたのかわからない。アニメ放映時(1971年)もわからない。
 松本零士『銀河鉄道999』(1977年連載開始)は宮沢賢治(1933年没)の著作権保持者の許諾を得ていたのかわからない。著作者が「1933年(昭和8年)以降」に死んだ場合は著作権死後50年保護、「1932年(昭和7年)内」の場合は1970年(昭和45年)末まで、という実に微妙な年に亡くなってます。
 今はどの人も著作権切れてるからやりたい放題ですけどね。しかしこれじゃどの昔の漫画家も自分の著作物の版権に関して、二次著作物も含めてあまりうるさく言わないわけだよなぁ。
 今はもう少しちゃんとしていると思います。