砂手紙のなりゆきブログ

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江戸川乱歩「D坂の殺人事件」に見られる異本(創元推理文庫版と岩波文庫版)

 江戸川乱歩の「D坂の殺人事件」は彼が1924年(大正13年)、雑誌「新青年」新年増刊号に発表した推理小説短編で、名探偵明智小五郎が初登場した作品です。
 現在比較的容易に手に入るテキストとしては創元推理文庫の『D坂の殺人事件』(2002年刊行)と、岩波文庫江戸川乱歩短篇集』(2008年刊行)収録のものがあります。
 ところがこの2つ、テキストが違ってるんです。それぞれ冒頭を引用します。
 創元推理文庫の場合。

 それは九月初旬のある蒸し暑い晩のことであった。私は、D坂の大通りの中ほどにある、白梅軒(はくばいけん)という、行きつけの喫茶店で、冷しコーヒーを啜っていた。当時私は、学校を出たばかりで、まだこれという職業もなく、下宿屋にゴロゴロして本でも読んでいるか、それに飽きると、当てどもなく散歩に出て、あまり費用のかからぬ喫茶店廻りをやるくらいが、毎日の日課だった。

 岩波文庫の場合。

 それは九月初旬のある蒸し暑い晩のことであった。私は、D坂の大通りの中ほどにある、白梅軒という、行きつけのカフェで、冷(ひや)しコーヒを啜(すす)っていた。当時私は、学校を出たばかりでまだこれという職業もなく、下宿屋にゴロゴロして本でも読んでいるか、それに飽(あき)ると、当てどもなく散歩に出て、あまり費用のかからぬカフェ回りをやるくらいが、毎日の日課だった。
 
 ルビの振り具合を除いて明白な違いは、「喫茶店」と「カフェ」、「コーヒー」と「コーヒ」、それに「当時私は、学校を出たばかりで、まだこれという職業もなく」の文章に読点が2つあるか1つあるか、ですかね。
 冒頭見ただけでも違ってますよね? 校正・校閲というのがいかに面倒くさいかわかるでしょう。
 江戸川乱歩はもう死んじゃってるし、「D坂の殺人事件」の生原稿は(多分)確認できないんで、元本に何を使用しようとたいした問題ではないんですが、誰が校正・校閲して、元本は何だったのか、ぐらい書いておいて欲しいと思います。
 岩波文庫は、

 本書は雑誌初出の本文を底本とし、平凡社版『江戸川乱歩全集』第一巻-第八巻(昭和六-七年)と校合した。初出は次の通りである。(以下略)

 と明記してあるんですが、誰がそういう作業をやったのかは不明です。さらに、

 次頁の要項にしたがって表記を改めた。(以下略)

 という、いつもの岩波文庫式改竄。
 21世紀になっても書物を筆写していたレベルの異本が出回るとは普通思わないです。
 さらに問題なのは、複数の異本をテキストとして採用した子テキスト・孫テキストがどんどん生まれ、著作権の切れたものに関しては、校正・校閲の適当さでは定評のある(私感)「青空文庫」がネット内外で流通してるってことです(江戸川乱歩のテキストは2016年1月1日以降フリーテキストになります)。
 ボルヘスは「書物と鏡は増殖するから面倒くさい」みたいなこと言ってましたが、DNA鑑定レベルで元本調べなければいけない文学者って本当に面倒くさいですね。
 普通の読者は、喫茶店だろうがカフェだろうが気にしない。