砂手紙のなりゆきブログ

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あなたのうしろにある何万人もの死体

 戦争体験者の話とか手記読んだりすると、本当にたまたま生き残られたというネタがゴロゴロあります。手塚治虫水木しげるも運がよかったし、隣の兵隊の頭が撃ちぬかれたとか、原爆落ちたときちょうど物陰だったとか。
 最近でも東日本大震災で死んだ人・助かった人のことを考えると、ちゃんと考えて助かった人もいれば、考えたけど死んじゃった人もいるわけで、でもってそういうのの証言ってのは生き残った人だけのものなんで、気持ちがどうもおさまらない。
 別にこの人が助かったのは誰かを殺したからってことはまずないと思うんですが、死んだ人と助かった人に「どうしてそうなったのか」という説明が欲しいところです。
 それ考えていくとメタ・ミステリーになるんだけど、普通に日常生活でもありますよね。
 無数の未来と同じく無数の過去があって、別の時間線ではあなたやぼくは死んでいる人。
 毎朝2階の寝室から1階に降りる人は、そのたんびに階段で転んで死んだ(実際には自分の時間線の中では存在しない)自分を背負っているし、道を歩いていたり電車に乗ったりしても、交通事故で死んでしまっている時間線の自分を背負っている。
「今日はいつもと違ってこの道行ってみようか」と思って別の道行ったら、その道でいつもの時間に強盗殺人事件が起きてて、誰かが死んでたり。地下鉄サリン事件なんかもそうですかね。
 でもまぁ、人生長い間生きれば生きるほど流れ弾に当って死ぬ確率があがってくるし、100歳まで生きる人は滅多にいないんで、用心とかあまりしようがないし、してもしかたがない。
 階段で転んで死ぬのは堪忍してほしいです。

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