砂手紙のなりゆきブログ

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東映時代劇のよくわからない照明(血斗水滸傳 怒涛の対決)

 どうも1950年代の東映時代劇は照明(光源)というものに関してどの程度考えていたのか謎すぎます。佐々木康監督『血斗水滸傳 怒涛の対決』(1959年)は飯岡の助五郎と笹川の繁蔵による争いを描いた映画ですが、夜中の場面でもものすごい照明と謎光源が展開して、主要人物の顔にはほぼ常に正面から光が当っています。
 光源(大きな提灯)を背後にしても平手神酒の顔明るいし、

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 振り返っても明るい。

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 一応、複数の光源があることにはなってますが、舞台照明なみに明るい技法を使っていますかね。映画そのものは、剣戟も含めて舞台と同じ理屈で作られているので、それはそれで悪いことはないんです。ただ、映画の技法としては1930年代ぐらいにすでに光と影の文法というものができてるわけなんで(『カサブランカ』とか『第三の男』とか見ればわかります)、あえてそういう照明・撮影にしたのにも、とりあえず理屈はあるんだろうなぁ、とか考えてしまいます。
 同じような照明でも、稲垣浩の場合は東映時代劇とは少し違って、部屋の中で外から来る光(自然光っぽい光)や電球の位置などを考えた光の当て具合にしている気がします。
 映画『無法松の一生』(1958年)ではちゃんと逆光で無法松とヒロイン撮ってますしね。部屋の中に電球があって、祭りの花火が上がると花火の色に二人の顔が染まります。

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 行灯・提灯の時代の照明をちゃんとそれっぽくやってる時代劇映画は、多分そんなにないんじゃないかな。それっぽく映せる撮影機材ができたころにはもう時代劇そんなに撮られなくなってるかも。

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