砂手紙のなりゆきブログ

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納得出来ない映画『マーティ』の夜間照明

 デルバート・マン監督の映画『マーティ』(1955年)は、アカデミー監督賞とカンヌ国際映画祭パルム・ドールというダブル受賞作品で、そんな作品はこれ以外には『失われた週末』(1945年)しかないんですが、普通の映画好きにはいささか忘れられているような映画です。アカデミー賞受賞作品の歴史を見ると忘れられたような作品はいくらでもあります。
 この映画は肉屋を営む誠実なマーティ(独身35歳)が、ダンスお見合いパーティで高校の化学の教師でオールドミスの女性クララと恋に落ちる話で、どう見ても美男美女のカップルではないんですが(アーネスト・ボーグナインとベッツィ・ブレア)、役者の熱演と誠実な話作り、白黒ならではのくっきりした映像がすばらしい佳作、とまでは言わないにしても、そんなに悪くない話です。
 マーティは下に弟妹がおり、すべて結婚して家を出ていて、年老いた母と2人暮らしなんですが、結婚とか家庭問題(家族)の扱いかたが妙に当時の日本映画感覚で、姑と暮らす妹夫婦が狭い家でプライバシーがないからって、姑(マーティの母の妹)に大家族だったマーティの家に引っ越してもらう、ということでいろいろグチをこぼすところなんか、成瀬巳喜男あたりが手がけそうな嫌な日本映画そのままです。
 映画の中での時間経過は、土曜の夜から日曜の夜でほとんど話が終わり、夜のシーンが多い映画なんですが、どうも最近どの映画を見ても「光源」(光を何がどの方向から出しているか)が気になりすぎるぼくとしては、納得できないものもありました。
 ダンスホールへ行くマーティの左上には強い光源があるわけなんですが、右上の照明(間接照明)は影出さないんですかね。

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 洗面所の男性の前方上には光源があるんですが、外のようにより強い光源があるのか、人物の影は目に見える光源のほうに向かって強く出ています。

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 路上を歩くマーティとその恋人のシーンなんですが、ちゃんと逆光でも撮影できるんですよね、この撮影監督。

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 ただ実際には「通り過ぎる車のヘッドライト」がかなり強い光源として作用するはずなんですが、街灯がずいぶん明るいのでほとんどわからない。この時代の車のヘッドライトってそんなに明るくなかったのかな。

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 などといろいろ不思議がってはみましたが、最後のシーンが素晴らしいです。電話をかけるマーティが、電話ボックスのドアを閉めると陰影がくっきりとする最後。

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