巡洋艦「春日」と「日進」
19世紀末から20世紀はじめまでのイタリアは有数の造船国家で、アンサルド社とオルランド社が主に軍艦の製造をおこなっていました。
ジュゼッペ・ガリバルディ級装甲巡洋艦はアンサルド社の技師エドワルド・マスデアにより設計されたバランスがよい艦で、当初はイタリア海軍の求めに応じたものでしたが予算が出ずに、結局チリとパタゴニアの領土問題で揉めていたアルゼンチンが4隻(ガリバルディ、サンマルタン、ベルグラーノ、プエリントン)、スペインが1隻(クリストバル・コロン)買いました。
アルゼンチンはさらにその後2隻を買う予定でしたが、1902年夏にパタゴニア問題がアルゼンチンに都合のいい形でまとまったため、リバダビアとモレノと名前がついて完成間近だった船の引受先がなくなりました。
それに目をつけたのが日本海軍で、リバタニアは春日、モレノは日進と名前&装備を変えて、1904年1月にジェノアを出港した2隻は、2月16日に横須賀港に着きました。
日露戦争がはじまったのは1904年2月8日のことでありました。
なお、買い付け交渉に当たった人物としては、堀口大學の父で当時ブラジル&アルゼンチン大使だった堀口九萬一の名前も挙がっています。
春日は1945年11月30日に除籍になるまで使われました。
(このテキストは別宮暖朗『日露戦争陸戦の研究』(ちくま文庫)に依拠しています)