砂手紙のなりゆきブログ

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アニメのピント合わせに見られる主観的視点の強調(ちはやふる2&たまゆら~もあぐれっしぶ~)

 アニメや漫画の場合は実写と違って、適当にピント合わせるということが逆に無理なんで、絵を描けばどんな絵でも「奥行き」や「手元」がボケたりする、ってことはありません。奥と手元の同時に、くっきりとした像を置くことができます。漫画の場合は「焦点をボカす」という効果に関してはもうハナから諦めて、「背景のキャラを適当(いい加減)に描く」ということでかろうじて処理してますが、アニメの場合は映画的手法を積極的に効果として用いながら、実写では不可能な遠近感を出しています(が、まぁ普通の人はけっこうどうでもいいと考えています)。
 アニメ『ちはやふる2』は、百人一首の競技かるたを題材にしたアニメの2期で、かるた部の部室が1話では多く話の舞台になっています。ただ、この奥行き表現は実写では独特、アニメでは普通なんで参考になります。
 1話、主人公で美人だけれどかるたバカな綾瀬千早(右側)と、ダメヒーローな美形担当の真島太一(中央)、それにきっちりした性格で着物が似合う大江奏(左側)と3人いて、部室で話をしているシーンでは、奥行きがあるはずなのに焦点普通に合ってますよね。

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 沢山の1年生から入部届もらってあわてる千早。背景にはピントボカした太一が見えます。もうこうなるとカメラ何使ってるのかとか、光源とかどうでもよくなる(アニメの光源表現は、心理表現以外の意味はほとんど持ちません)。

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 で、受け取ってる千早を太一の背後の視点から見た絵だと、太一はそんなにピントがボケてない。

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 奏が入部希望者に説明をしている奥に、やはり部員で眼鏡かけてる頑張り屋の机くん(駒野勉)がいますが、この二人は焦点(ピント)移動がないままに会話をします。

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 同じぐらいの奥行きなのに、千早が部員に話をするときは奥をボカして、部員の反応を出すときには奥にピントを合わせます。

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 千早が新学期の活動方針についてものすごい目標を言ったので、他の部員4人が引いちゃうところでは、全員にピントが合います。こういう絵は割と映像(映画)的表現ではなく漫画的表現ですね。

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 要するに、このアニメの中のかるた部の部室はものすごく「登場人物の主観的視点」に満ち溢れてて、実写見慣れていすぎると違和感のあるカット・シーン多すぎに見えてしまいます。
 ただそれはこのアニメに限らず、どのアニメでも同じことです。
 アニメ『たまゆら~もあぐれっしぶ~』1話では、主人公で声が小さい沢渡楓が町の風景写真を撮っているところを、昔からの友人で鼻がきく塙かおるが見てウルッとします(このウルウル表現が実にアニメ的で面白いんですがそれはまた別の話)。

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 楓が「cafeたまゆら」という自分の家である喫茶店に帰ってきたところでは、撮影・宮川一夫ですか? と思うぐらいのディープ・フォーカス(パン・フォーカス)です。

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 小さい頃にお父さんが撮った写真は、「昔のカメラだったらこんな風になります」というサンプルみたいな遠近感の出しかたです。こういうのうまくボカせるようになるには、アニメ製作者が実際に実写撮ったりカメラで写真撮ったりしまくらないと難しいかな、とか思ってしまいます。

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