砂手紙のなりゆきブログ

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アニメの会話が続くシーンで会話している人物の手とか背景とか間に入れてみたりするのは芋演出(GJ部)

 アニメ『GJ部』は個性的な女子部員に混じって一人の性格のいい男子部員が下僕のように扱われ、全員のグルーミング(髪の毛ブラッシング)をする、という、これだけの紹介ではどこが面白いのかさっぱりわからないアニメです。
 舞台となっているのはパソコンとかこたつとか紅茶セットとかがあるボロい校舎の一室(部室)で、季節の移り変わりや水着演出もないことはないんですが、だいたいはその部室における部員たちの日常会話で終始する日常系アニメです。
 こういう、舞台が限定された場所における会話の演出というと、新房昭之みたいにどう見てもやりすぎな演出(個性的すぎる演出)か、長い会話になるとカットに手とか外の風景とか入れるありふれた演出になっちゃうところなんですが、このアニメはありふれた演出を多少は使いながらも退屈はしない、という素晴らしいアニメで、戦ってばかりいながらだんだん退屈になってきてしまうような戦闘アニメとつい比較してしまいます。
 なおたいていの戦闘アニメは、戦闘シーンよりもむしろ日常シーンの演出でその監督の腕が出るんじゃないかとさえ個人的には思ってしまいます。長井龍雪監督の素晴らしいシーンはだいたいファミレスで登場人物たちが会話しているところです。
 アニメ『GJ部』で気がついたのは、あまりカメラを動かさない(ときどきは動かす)で、話している人物の顔をほぼ確実に撮して、そのかわり構図やアップ・ロングの表現をいろいろ使ってる、ってことでした。
 ときどき動かすシーンだと、たとえばしゃべっている人物(ヒロイン)を左から右にカメラ移動させながら撮る(そうすると人物が右から左に迫ってくるように見える)みたいなので、何ていうのかなぁ、見ていていろいろ勉強になります。実写とアニメの違いとか。
 主人公の四ノ宮京夜を、小さい部長の天使真央がからかう第3話に使われてます。

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