砂手紙のなりゆきブログ

KindleDPで本を出しました。Kindleが読めるデバイスで「砂手紙」を検索してください。過去テキストの一覧はこちら→http://d.hatena.ne.jp/sandletter/20120201/p1

アニメの素晴らしいところは何も考えていない人物を絵として出せるところ(塩田明彦『映画術』)

 塩田明彦『映画術』(イースト・プレス)は、映画監督・脚本家である塩田明彦が2012年の春から秋にかけて、映画美学校アクターズ・コースのためにおこなった連続講義7回分を元に本にしたものです。
 タイトルはヒッチコックトリュフォーの『映画術』から編集部のアイデアで借用していると著者は照れながら告白しています(翻訳者の山田宏一蓮實重彦は快諾したそうです)。
 この講義は最初は映画監督としての「映画の演出」について話す予定だったのですが、事務局の手違いで「映画の演技」についての講義である、というアナウンスがされたため、仕方がないので内容・資料をそのためにあらためた、という事情があり、著者の狙いどころはともかく「演出」と「演技」の両面が語られる、なかなか面白い本になっています。
 あまりにも面白いのでもう何回かこの本からネタ拾うかもしれない。
 この中で、映画の中の人物(役作り)をどうやるか、に関して、著者が体験したあるエピソードを元に話していることが勉強になりました。以下少し要約してまとめます。

 著者がある日、あてのないシナリオ執筆のロケハンのために江ノ島に行きました。
 駅前で写真を撮っていると7、8歳ぐらいの女の子に手を取られて、「あそこにツバメの巣があるから写真撮って」ってお願いされました(あとで駅前のみやげもの屋の娘さんと知れて、人なつっこい理由がわかります)。
 その後、その女の子は手にしたボールを著者に投げて、「遊びたい」というモーションをしたので、こんなとこ警察に見られたらどうしよう、と思いながら遊んであげました。
 しばらく遊んでいると一目でホームレスとわかる、右目が白濁していて服もボロボロの年老いた男性がやってきて、「あんた、いいお父さんだ。感動したのでこれをやるから、缶コーヒーを飲め」って100円くれました。
 いくら何でも、とは思いましたが、そのお金で缶コーヒーを買って飲むと、男性はうれしそうな顔で、頷きながらそこから去っていきました。

 …さてこのホームレスの男性の役、あなたならどうやって演じます?
 著者はこの人物に対して、以下のような物語を考えます。

 多分この男の人は、かつて家族があり娘もいたんだろう。
 彼はある意味、失ってしまった家族に対して(なけなしの)金を払っているんだ。
 そして家族をなくした原因は彼にあり、そのことを今でも後悔している。

 こういう人の「内面」を追求していったら、この役って演じられますかね? つまり、「過去に関する後悔の感情」を持ってこの役を演じたら、その人になれるか、みたいなことです。
 塩田明彦は「それじゃ駄目なんだ」と断言します。内面で役を演じようとすると、世界はすべてモノローグにしかならない。外面で客観的に語れるようにする、というのが彼が役者に望んでいることです。

 ところでぼくは、映画とは映画監督により作られる物語であり、役者における「キャラ作り」で物語に干渉する度合いは少なくてもいい、という考えもありだと思います。
 たとえば木下惠介監督は、「ちょっと空を向いてるところを撮りたいんで、やってみて」って言って、役者には「何も考えなくていいから」と指導します。でもこれ、普通の役者じゃ無理ですよ。この人物は過去にどういうことがあって、今どういう心境で、なぜ空を見ることになったのか、考えないと(物語を作らないと)演技できない。
 しょうがないので、なるべく何も考えないようにして空を向く演技をやって、あとからできた映画を見てみると、ちゃんとそれが「監督の作った物語」の中で意味を持ってくる。
 そんな監督、かつては普通だったんですが、アメリカの俳優養成所であるアクターズ・スタジオのメソッド演技法が映画俳優の表現技法として定着してから以降は異端なのかもしれません。
 アニメの場合はキャラに何も考えさせてない絵を描くのは比較的簡単ですよね。何か考えていることにするためには、回想シーンとかモノローグとか、いろいろ入れてあげないといけない。
 参考画像としてアニメ『TARI TARI』5話、ヒロインの一人である坂井和奏が夏の海(通学途中の江ノ島)を見ながら、何も考えていない、というか何を考えているかわからないように見える絵とか置いてみます。物語としてはこのあと、海辺で遊ぶ母と子供の絵を出して、意味をもたせます。

f:id:sandletter:20140322204621j:plain