砂手紙のなりゆきブログ

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映画史と自分史もしくは教養主義と面白主義(蓮實重彦)

 映画を楽しむには面白がるだけでいいんですが、映画を語るにはどういうアプローチをするか考えないといけないわけで、これは小説の場合と同じです。田山花袋野間宏が退屈でつまらなくても(ちょっと例を出してはまずいですかね、すみません)、文学史的な意味づけとか、その時代のどういう部分を反映しているか、理解した上で語る、というのが多分教養主義的なアプローチ・語りかたなんじゃないかと思います。
 それに対して、自分語りをする方向で面白い映画を語るのが多分面白主義的映画の語りかたで、これは語っている人の人格や創作物に与えた影響を知る素材になる、という意味で参考になります。
 映画に対する語りかたはいろいろあるんで、どちらがいいとか悪いとかないんですが、「映画を語るにはこれを見ていないなんて」みたいな教養主義や、「今現在映画館に行っているのか」みたいな面白主義は、どちらも行き過ぎると視野を逆に狭めます。
 個人的には、昔の映画を先月作られた映画みたいに楽しむ、みたいな映画の見方をしたいし、そういう楽しみかたもできる映画はたくさんあると思います。
 日本人の文化に対する映画の影響というのは、外国映画の場合だと公開されていないけれど重要な映画(プレストン・スタージェスの諸作品とか)は外したり、日本で公開された年月日を考えたり(『第三の男』の日本公開日とか)、いろいろ考えなければいけないことが複雑になって困ります。
 しかし1940年代のハリウッド映画が、アメリカではどのように受け取られたか(観客として見られていたか)、なんてのは、当時のアメリカに住んでいた人以外は語れないと思うし(アメリカ人でも都市部か田舎か、どこに住んでいたかでも違う気がする)、昔の映画を自分の青春時代の思い出として語る人の話は、映画史に関する意見ではなく自分史に関する意見として聞く必要がありますね。
 瀬戸川猛資ジョン・スタージェスを語るときには自分史に偏りすぎだろうし、蓮實重彦プレストン・スタージェスを語るときには映画史に偏りすぎな気もする。
 どちらの監督の映画も、単純に面白いです。
 J・リー・トンプソン映画祭にはとても興味ある。