砂手紙のなりゆきブログ

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ヌーヴェル・ヴァーグを支えたプロデューサー(ジョルジュ・ド・ボールガールとピエール・ブロンベルジェ)

 映画『ピアニストを撃て』(1960年)のオーディオ・コメンタリーで、撮影監督だったラウル・クタールは以下のようなことを述べています。

ヌーヴェル・ヴァーグといえば監督が中心になるが、二人の製作者がいたからうまれたんだ。ボールガールとブロンベルジェだ。彼らがいなければブームになったかは疑わしい。それぞれやり方は違っても、推進者としてリスクを負ったことは同じだ。ブロンベルジェは人材を集め、ボールガールは冒険に挑んだ。彼らがいたからこそ、ルルーシュが監督になれたのもブロンベルジェのおかげだ。4本撮らせたが当たらず、5本めの出資を断った。そしたら5本目が当たったんだ(男と女)。ふたりのうちどちらかが、こんな名言が吐いた。「映画を作るなら、金をかけずにもうけることだ」』

 ジョルジュ・ド・ボールガールはジャン=リュック・ゴダールの衝撃的なデビュー映画『勝手にしやがれ』(1960年)で大もうけして、その後ゴダールの映画を支えていた人でした。
 ピエール・ブロンベルジェ1920年代からはじまるキャリアはものすごく長くて、その中には多分トリュフォーヒッチコックよりも好きだったかもしれないジャン・ルノワールの映画製作も含まれています。
 しかしブロンベルジェ、ルルーシュに4本も映画作らせるというのはたいしたもんです。週刊少年ジャンプに4回連載漫画を描かせてみたけど駄目で、5回目はしょうがないので漫画家個人がウェブ連載して、それがヒットしちゃったようなもんですかね。