さだまさしとタモリ(戦後日本歌謡史)
みなさんはさだまさし、好きですか。ぼくは嫌いではありません。小田和正と比べたら好きなほう。
一番人気があった時代は多分1970年代後半だと思うんですが、なんかさだまさし好きって言うのは若山牧水を好きって言うのと同じぐらい恥ずかしいかもしれない。当時はもっと恥ずかしかったのかな。
1970年代後半は、パンク・ロックとかも出てきてたんで、音楽好きでとんがってる人はそういうの聞いてたかもしれない。
ニューミュージックは流行とは関係なく定着し、歌っている人と同じようにファンも年をとって21世紀になりました。
しかしタモリのさだまさし批判って具体的にはどういう言動だったのか、今では全然わからない。当時のタモリはどういう音楽が好きだったのかもわからない。セックス・ピストルズをタモリが聞いていたかどうかもわからない。
1981年に出された『タモリ3 戦後日本歌謡史』は、戦後昭和の歌謡曲の変遷をくだらなくパロディにしてある、タモリの謎の傑作ですが、その中で彼は「さだ」のことを次のように語っています。以下、正確でないかもしれない。
『五十年代のテレビ界に突如殴りこんできた不思議なタレント、タモソ。こんな素人に毛が生えたようなタレントが、一夜にしてスターになったのも、時代のなせる業なのでしょうか。それではそのタモソの、オールナイトニホン。
「とにかくね、まだなんでさだが売れるかっていうの、俺もう2年半も言い続けてるわけね。ありゃ日本人のなんか全部悪いところをね、なんか全面に出してるんだよ、なんか俺たちがさ、そうじゃなくてさ、日本人のジメジメした、後ろに下がろう後ろに下がろうとしたところを切り捨ててね、なんかそれが嫌だから前に出て行こうと、各分野でやってたわけよね、だから音楽の分野でそれはなかった、小説の分野でもね、そりゃあるよ日本人のなんかこう変な退行意識、後ろに下がろう、ジメジメしようってのはね、でも音楽の世界にはなかったの、さだがさー、さだがあれがやったわけじゃない、鶴光みたいな顔してさ、これがね、気にくわないわけよね。これはね、やるのはしょうがないけどね、だからそんなものをね買うね、その音楽的状況ね、もう、女子高生だの中学生のブスが買いまくるんだよ、そういうやさしさとか何とか、これが俺は気にくわん、こんなことじゃね、日本のね文化状況はね、もはやご破算になっちゃったのと同じなんだよ。もうどうしようもないね、あの歯茎は歯槽膿漏だよ。」
それでもニューミュージックはヒットしました。』
ここで語られているのは、あくまでも実際に放送されたと思われるネタのメタ・パロディで、実際の放送はどうだったのかうまく確認できませんでした。
またここで語っているのは「タモソ」で、語られているのは「さだ」であり、「さだまさし」ではありません。鶴光みたいな顔してて歯槽膿漏の歯茎だとしても。
映画『二百三高地』でさだまさしの曲「防人の歌」が流れるのは、1980年の夏のことでした。
1983年にはNHKの紅白歌合戦でタモリは総合司会をつとめ、さだまさしは1979・80年出演のあとは1990年まで紅白歌合戦には出ませんでした。