砂手紙のなりゆきブログ

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マーティン・スコセッシと宗教

 映画監督のマーティン・スコセッシカソリック思想を強く持っている人です。
 ニューヨークのイタリー系の家系に生まれ、喘息持ちで孤独なスコセッシは映画と宗教を愛し、マルベリー・ストリートにあるオールド・セントパトリック大聖堂で司祭の助手(侍祭)をつとめ、ニューヨーク司教区の神学校(カシードラル・カレッジ)に1年通ってから普通のハイスクールを卒業し、ニューヨーク大学の映画学科に進みました。
 彼の映画の多くの主人公はアウトローではありますが、アウトサイダーではありません。つらい人生を生きている人であっても、それは迷える羊だったり放蕩息子として「贖罪」の記号を持ち、彼らは神とは戦いません。神は彼らを常に見ており、ときどきそばに寄って語りかけます。映画監督の演技指導のように。
 元尼僧でジェイムズ・ジョイスを愛した女性監督のメアリー・パット・ケリーは、スコセッシとその関係者によるインタビューで構成されている『スコセッシはこうして映画をつくってきた』(文藝春秋、1996年)の中で、ジョイスのダブリンとスコセッシのニューヨークを重ねてイメージすると同時に、ふたりの濃い宗教の問題について言及します。
 2014年夏現在スコセッシによって映画化が進められている遠藤周作の『沈黙』は、日本文学というレベルを越えて、キリスト教文学の中でも最高の小説として語られている作品で、スコセッシの過去の映画作品歴を見る限りでは、『最後の誘惑』(1988年)と並んで宗教的テーマが前面に出ている異色作です。この小説の主人公は日本に渡来したキリスト教宣教師で、神を愛するがゆえに神を捨てる(転びバテレンとなる)複雑な設定です。
 ただし映画でその役を演じる予定の人はアンドリュー・ガーフィールドというユダヤ系アメリカ人です。なんかカソリックの人とユダヤ系の人って相性がいいんですかね。