砂手紙のなりゆきブログ

KindleDPで本を出しました。Kindleが読めるデバイスで「砂手紙」を検索してください。過去テキストの一覧はこちら→http://d.hatena.ne.jp/sandletter/20120201/p1

いわずと知れたジョン・レーマンと、多分あなたの知らないラヴクラフト

 日本でペイパーバックの古本を扱っている古書店のブログ「読み古し「紙表紙本」の倉庫的Blog」が面白すぎてたまりません。今日はそこからだいたい引用します。
 2014年7月21日のブログで、あちらのブログ主は英文学者・篠田一士「ペンギンの思い出」(『學鐙』第57巻12号(1960年12月発行)から以下のように引用しています(一部省略)。ペンギンとは特に説明は不要でしょうが、イギリスのペイパーバックの元祖であるペンギン・ブックスのことです。

『さて、これから、ぼくとペンギンとの附き合いのことを少し書かせてもらう。戰後輸入書が許されたのが、一九四九年か、五〇年頃で、丁度大學を卒業する直前であつたが、まつさきにぼくが豫約したのが、「ペンギン・ニュー・ライティング」という普通のペンギン版よりも一寸大きい型の季刊文藝誌で、編集者はいわずと知れたジョン・レーマンである。この文庫版の雜誌は一九四〇年の十一月に第一號を出し、あの世界戰爭の暗い谷間にかがやいた、ありがたい灯のように、イギリス文學の基準を支えたのである。この雜誌の外には、コナリーの有名な「ホライズン」があるだけで、四十年代のイギリス文學の實體を知る上に、洵に貴重な財産といえる。』

 その後、あちらのブログ主は、

『えーと、「いわずと知れたジョン・レーマン」とか「コナリーの有名な『ホライズン』」とか、『學鐙』の読者にとって本当にそれって「いわずと知れた」であり「有名な」なんだろうか? これでも一応、洋書屋を10年ばかりやってんだけど、ジョン・レーマンもシリル・コナリーもこの原稿を読んで初めて知ったんですけど……。』

 とボヤいてます。ボヤくとはちょっと違うかな。丸谷才一なら多分知ってたか、知らなくても知ってたフリして適当にこのネタでコラム書くと思う。
 そんなことより、2012年6月29日のブログで、あちらのブログ主は次のようなことを語っています(以下要約)。

 2003年に「The Shadow Out of Time: The Corrected Text」が出るまで、H・P・ラヴクラフトの「The Shadow Out of Time(邦題は「超時間の影/時間からの影」)」は不完全な形でしか存在しなかった。それは作品の出来に彼自身が納得いかなかったので、ラヴクラフト・サークルの青年ロバート・F・バーロウに見せたら、難読すぎたテキストを適当にタイプされて原稿は当時のアスタウンディング編集長F・オーリン・トレメイン(有名なジョン・W・キャンベルの前の編集長)の元に届けられるんだけど、その前の1936年2月号から4月号に「At the Mountains of Madness(邦題は「狂気の山脈にて」)」の掲載原稿を見て、自分の投稿原稿との差に愕然として血の汗と涙を流しながら丸4日間校正しているうちに6月号に「The Shadow Out of Time」が掲載されてラヴクラフト大激怒。ところがオリジナル原稿は長い間不明で、1995年になってハワイの人から「私の義妹の遺品からこんなものが見つかりました」と関係者に連絡あって仰天。21世紀になってようやく刊行されることになりました。よくまあそんなものが見つかったもんだ。

 ものすごく要約してあるので、興味がある人は「ラヴクラフト 読み古し「紙表紙本」の倉庫的Blog」とかで検索してみてください。そこからリンクしてある「バーロウ事件」(竹岡啓)という、ラヴクラフト著作権に関する騒動も面白いのでおすすめ。
 しかし21世紀になってラヴクラフトが、アメリカ文学におけるそれなりに重要な作家になるとは、誰も当時は思ってなかっただろうな。エドガー・アラン・ポーも19世紀は似たようなものだった(と思う)。