映画『市民ケーン』のえんじ色のネクタイ(和田誠シネマ画集)
和田誠の『シネマ画集』(ワイズ出版、2014年)を読んで、じゃなくて見ています。
この本で描かれた絵はもう、ビデオというものが世の中に定着してからの映画の絵なので、ラストシーンなんて確認しながら描いたんだろうな、とか思う。
不思議なのは映画監督編で監督と一緒に出てくるカメラとかの小道具ですね。セシル・B・デミルとルイス・ブニュエルはルーペ(フィルムを確認するための道具?)持ってて、カメラはクリント・イーストウッドがミッチェル、ウディ・アレンがパナビジョンと明白にわかる(名前が書いてある)んだけれど、チャールズ・チャップリン、フランク・キャプラ、スタンリー・キューブリック、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォーのカメラはさっぱりわからない。資料映像探せばわかるんだろうな。ゴダールとキューブリックのカメラはとても小さいのに対して、トリュフォーのはあり得ないぐらい大きい。『アメリカの夜』とかで確認してみよう。
そんなことより気になるのは、白黒映画もカラーで描いてるんだけど、「なんでこの色にしているの?」ってのがけっこうある。服はそんなに変なのはないんだけど、ネクタイとか和田誠さんが勝手に決めてるんだろうな。
『市民ケーン』(1941年)だと「K」って書いてあるエンジのネクタイ締めてるんだけど、あのショットでケーンが首に巻いてたのはソフトなスカーフみたいなもので、色とか模様はちょっとわからない。
『第三の男』(1949年)でアリダ・ヴァリが首に巻いているのは、和田誠の絵によると「青」のスカーフ。
まあそれはともかく、『アニー・ホール』(1977年)の、ベランダで酒飲みながら話すシーン、ダイアン・キートンのほうは水玉のネクタイまで再現してるのに、ウディ・アレンのほうはなんかセーター着てる。あそこは白のシャツだったと思うんだけど、スチール写真とかじゃ別のがあるのかな。背景はまあ許します。
昔の白黒映画でも、カラーのスチール写真とかあったりすることあるんで油断できない。