砂手紙のなりゆきブログ

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プロデューサーの仕事

 プロデューサーの仕事は、裕福な平均年齢70代の婆さんをスポンサーにして、最低の脚本と最低の演出家と最低の役者をそろえてブロードウェイで芝居をやらせて集めた資金で大儲けすること、って映画『プロデューサーズ』(1968年および2005年)では言ってました。
 映画のプロデューサーの仕事はまぁ、映画を作る資金を集めて、映画監督に映画を作らせて、その映画をあちこちに売る、というある意味非常に地味な仕事なので、たいていの人はそんなことしてる人の名前は、スタジオジブリ鈴木敏夫プロデューサーしか知らないと思う。
 この人は宮﨑駿に、どんなに頑張ってもあなたの映画はあなただけでは4億円しか稼げないんだから、と『風の谷のナウシカ』(1984年)のときに言って、『魔女の宅急便』(1989年)で20億稼いで、『千と千尋の神隠し』(2001年)では300億稼いだ人です。
 あと押井守でも「あなたの映画は2回以上見る人向き」ということで、本当は『攻殻機動隊2』だった映画を『イノセンス』(2004年)って題にして、どうしても2回以上見ずにはいられない映画にして、10億稼ぎました(ただし制作費は20億)。
 日本のプロデューサーとか社長では、松竹の城戸四郎、東映岡田茂大映永田雅一などがかろうじて知られてますが、共通点はケチだったことです。
 岡田茂がボツにした企画は『八甲田山』『南極物語』『蒲田行進曲』などいくらでもあるけどまあ、『二百三高地』とか『復活の日』とか作ってるからいいか。