砂手紙のなりゆきブログ

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文豪・舟橋聖一の武勇伝(税金編)

 全盛期の舟橋聖一は作家の所得では日本一で、作家における必要経費の必要性を強くあちこちにアピールしながら、当時はまだザルだった印税収入その他の稼ぎをごまかしてやりたい放題でした。
 時の大蔵大臣池田勇人に会って、必要経費の陳情をすることができるようになったのはいいのですが、その日の舟橋聖一の服は着流しに雪駄に白足袋というちょっと粋すぎる格好で、面談が終わったあと憤慨して「大臣はぼくの白足袋の話しかしてくれなかった!」と、秘書の今井潤に語り、後日それを「悪名」という短編にしました。
 池田勇人はその件に関して新聞記者に「そういえばそんな人にあった気がする」と一言。

 またある年の納税の時期になって、国税局の直税部長から「ちょっと話したいことがあるので一度来て欲しい」という電話があり、舟橋聖一を担当しているS税理士はトンズラして連絡が取れなかったので(板挟みになることを避けたらしい)、しぶしぶ舟橋は税務署に今井潤と一緒に行きました。
 別室を用意されて、部長その他、彼にとって見知らぬ顔も数人いました。
 実は税務署の直税部長と舟橋聖一は、旧制高校の先輩・後輩の間柄で、大相撲の初場所では舟橋は枡席を用意して、部長と署員を招待し、その後一席を設けていました。
 見知らぬ顔の人間は新設された国税調査官の面々で、部長は舟橋聖一に、所得額と申告額の差がありすぎるので、このままでは認められない、と説明しました。
 舟橋は手をぶるぶるさせて怒りながら、
「君たちには毎年相撲を見せ、高いてんぷらを食べさせているじゃないか」
 と、いきなりあれは賄賂だった、みたいなことを話しはじめました。
 部長は立ち上がり、
「そうですか。それではしばらくお待ちください」
 と言って出て行き、しばらくすると茶色い封筒を持って机の上におきました。
「舟橋さん、これはあの時の割勘です」
 さすがに舟橋聖一もその金は受け取らず、黙って出ていきましたが、税金の追加徴収にはすぐには応ぜず、熱海に隠れてて、今井潤の弁護士の説得で、やはりしぶしぶ払いました。

 以上の記述は、丹羽文雄『人間・舟橋聖一』(1987年、新潮社)に依拠してます。

 

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