砂手紙のなりゆきブログ

KindleDPで本を出しました。Kindleが読めるデバイスで「砂手紙」を検索してください。過去テキストの一覧はこちら→http://d.hatena.ne.jp/sandletter/20120201/p1

創作物のメタ具合と評価について(トップをねらえ!)

 アニメ『トップをねらえ!』(1989年)の冒頭は漫画『エースをねらえ!』(1973年)その他を含むスポ根アニメ・漫画の小道具やキャラ設定を作品中に入れていますが、今の時代になってわからなくなるのは、作っている人がどこまでメタ(下位構造としてのスポ根もの)を意識しているのか、ということです。
 ただこれはまだぼく(ぼくら)が、かろうじて少し前の世代の「そういうものが真面目に作られた時代」を間接的にでも知っているからで、もう50年ぐらいすると世代的な継承もとぎれて、メタな話もそうでない話も一緒に扱われることになると思います。
 たとえば、50年前の映画の中に「それは10年前(今の時代の60年前)のファッションだ」というセリフがあったとして、あなたはその映画の中の「現代のファッション」と「10年前のファッション」の区別がつきますかね? ぼくには自信ないけど、ファッションにくわしい人ならつくんだろうな。今の時代に「10年前のファッション(20世紀末~21世紀初め)」というのはまあ、なんとなくわかる。
 映画はともかく、小説でメタになっているもの、特に1930年代の黄金時代海外本格ミステリーなんて、作者がどこまで真面目に書いているのかわからなくなる。ディクスン・カーとかですね。これがクリスピン『消えた玩具屋』(1946年)ぐらいになると、だいたい当時の人はメタな本格ミステリーとして読んだんだろうな、とか想像できますが、それはぼくが少しミステリーの歴史を知ってるからで、普通の人にはそんなことはどうでもいい。
 文学史的にはもっとややこしいですよね、こういうの。「○○という小説の背景には××という同時代では少し古くなっていた小説があって」なんて、やはり普通の人にはどうでもいい。