砂手紙のなりゆきブログ

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ホラー映画における小中千昭理論(恐怖の作法)

 小中千昭という人は脚本家で、ぼく的には21世紀になっても不思議なアニメ『serial experiments lain』(1998年)で知ってますが、世間的にはホラーや特撮のほうで知ってる人のほうが多いのかな。
 彼の『ホラー映画の魅力 ファンダメンタル・ホラー宣言』(2003年、岩波書店)が大改訂・増補されて、というか約10年分の何かを加えて『恐怖の作法-ホラー映画の技術-』(2014年、河出書房新社)として刊行されました。
 ここで語られている、ホラー映画の「恐怖の方程式(小中理論)についてメモしておきます。

A・脚本構造について
 恐怖とは段取りである
 主人公に感情移入をさせる必要はない
 因縁話は少しも怖くない
 文字は忌まわしい
 情報の合致は恐ろしい
 登場人物を物語で殺さない
B・脚本描写について
 イコンの活用
 霊能者をヒロイックに扱ってはならない
 ショッカー場面はアリバイだ
  注:ショッカー場面というのはびっくりする場面で、この本の中では『ジョーズ』の沈没船から見つかるものが例として挙げられています
 幽霊の「見た目」は有り得ない
  注:「見た目」とは人物の主観描写で、要するに「幽霊の視点から見る(主人公とかの)カットを出さない」
 幽霊はどう見えたら怖いのか
 幽霊ナメもやってはならない
  注:「ナメ」とはカメラの置所(視点)で、映画ではありがちの「登場している人物を向かい合わせにして、一方の肩ごしに取る」という描写です
 幽霊は喋らない
 恐怖する人間の描写こそ恐怖そのものを生み出す
 つまり、本当に怖いのは幽霊しかないのだ

 ということで、小中千昭が語るファンダメンタル・ホラー映画は「幽霊がはっきりとは見えず、それを見ている主人公の視点から撮り(主人公側からの肩ナメはいいみたい)、幽霊の視点は出さず、恐怖する人間を出す」ということだと思います。
 しかし普通に、ホラー映画なら「怖がってる人の顔」って出しますよね。
 それを出さないように、意識的にコントロールしているホラー映画ってあるのかな。
 とりあえず、小中千昭が紹介している映画見てみます。
 具体的にはジャック・クレイトン『回転』(1961)、ロバート・ワイズ『たたり』(1963)、ダン・カーティス『家』(1976)とか。