砂手紙のなりゆきブログ

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十代目金原亭馬生はもう少し評価されてしかるべき(柳田角之進)

 十代目金原亭馬生は名人と言われた五代目古今亭志ん生の息子で、三代目古今亭志ん朝の兄にあたる人です。
 志ん朝も63歳と今の時代では早死ですが、馬生はそれより10年早い54歳、1982年に亡くなりました。志ん朝が亡くなったのは2001年なので、けっこう頑張ったと思います。
 ふたりとも父親にはほとんど落語を教えてもらえなかったとのことで、芸風は父親にあまり似ていません。父親は酔っぱらいとおかみさんの役がうまくて、弟は若旦那の役がうまいと思います。
 落語というか人情話というか、「柳田角之進」は普通に話して1時間はあろうという大ネタで、簡単にあらすじを書きますと、とある藩の武士に柳田角之進というのがいて、堅物なため江戸でうとまれ、浪人となって貧しい長屋で娘と二人暮らしをしていたところが、寺子屋の小僧を教えるのにもその性格があだとなって、春に教わりはじめたところがもう夏ぐらいになるといなくなってしまう。
 退屈をまぎらわすため娘に勧められて角之進が碁会所に行くと、自分と同じぐらいの腕の商人(大旦那)がいる。
 毎日同じ人と打ってるのに、こんな人が多くて暑いところというのも何なので、私の家へ来ませんか、と誘われるままに旦那の離れへ。
 ごちそうが出て酒が出て、居心地がいいので自然とそちらが碁を打つ場所になる。
 そのうち秋の十五夜の月になって、月よりもこれ、ということでいつもの流れになるけれど、酒をたんと飲んでいつもより遅く角之進が帰ったあとに、どういうわけか番頭が渡したはずの50両が行方不明になる。
 番頭は角之進を疑うけれど、主人はあの人は浪人はしていてもそのようなことをする人じゃない、と頑固に弁護する。
 聞かない番頭は次の日、主人に内緒で直談判に行き、取り調べの奉行所の話を出してきたので角之進は「取ってはおらぬが50両は用意する。しかし、もし別のところからその金が出たらどうする」と番頭に言い、調子に乗った番頭は、もし出たら私の首だけじゃなくてうちの主の首も差し上げます、と言ってしまう。
 で、なんやかんやで50両が作られたり、あとで見つかったりするのは「文七元結」とほとんど同じでして、翌年の春(と言っても旧暦なので雪の季節です)、一生懸命探していた角之進が、再び立派な身なりで番頭に出会う。
 もとの藩に戻ることができた彼は再会を祝って番頭を店に誘うが、その席で金が見つかったことを聞くと、
「出たのか、めでたいな…約束のことは覚えているか…明朝、二人の首をもらいに行く。…さ、飲め」
 この「さ、飲め」が絶妙のうまさであきれる。
 これ聞いたあとにネットに転がっている志ん朝のほうも聞いてみたんだけど、どうもこの話はちゃんと仕上がってないですな。多分もっといい出来のがあるはず。
 少し全体にとっちらかってるし、軽く仕上げていすぎる気がする。