砂手紙のなりゆきブログ

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『荒野の用心棒』(1964年)と『ダーティハリー』(1971年)で聞こえる謎の余分な銃声音

(今回はタイトル作品のネタバレになっている部分もあるのでご留意ください)
 映画『荒野の用心棒』(1964年)は、最後の決闘シーンがめちゃくちゃかっこいい映画です。
 拳銃ではライフルに勝てないということで、体(心臓部分)に鉄板を置いて、敵のライフルの名人に撃たせて、主人公(クリント・イーストウッド)は射程距離に近づきます。そして4人の男を倒し、ライフルを持っている男のライフルを落とします(ここで殺してしまわない)。その早いのなんの。
 そして「銃を拾え。装填してから勝負しよう」と言って、最後の1発で吊るされていた酒場の主人のロープを撃ち、拳銃を放ります。
 ここらへん、ライフルの男が心臓じゃなくて頭を撃ったらおしまいだし、決闘なんかしないで最後の1発でクリント・イーストウッドが悪い奴を殺してもおしまいなんだけど、それだと話が面白くならない。
 で、お互いが装填してからの撃ち合いで、もちろん主人公は勝つんですが、どうもぼくの見た奴だと、銃声音が1発多い。
 要するに、こんなふうに聞こえる。
「ダーン(ライフルを撃つ)、ダダダダーン(4人を撃つ)、ダーン(?)」
 これは、映画『ダーティハリー』(1971年)で、ハリー・キャラハン刑事が銀行強盗を撃つときと同じです。
 あの場面では、まず2人撃って、1発どこを撃ったのかわからないのがあって、2発銀行強盗の車に撃って(これは撃ったあとがフロントガラスに残ってる)、最後の1発で別の1人を撃ってる。
 で、動けない悪者のひとりに、こう言います。
「弾が残ってるかどうか。俺にもわからないが1発残ってたら終わりだ」
 ただこのシーン、実際にはハリーは撃鉄を1回引いて(つまりリボルバーの6発目の次の穴になるようにして)引き金を引いてるんですよね。要するに、実は6発目の弾があろうがなかろうが、関係ない。
 拳銃を向けた段階では、6発目が撃てる状態(つまり、5発しか撃ってない)でもこのショットは成立する。
 まあ機会があったら、どちらの映画も一度見てみてください。