ナボコフ『絶望』の叙述トリック
ナボコフとボルヘスとスタニスワフ・レムの共通点は、推理小説とメタ言及小説が好きなことと、こわがりなことと、少し恥ずかしがり屋なところです。
もともと推理小説はメタな構造に合ってるんですが、ナボコフとボルヘスに関してはアラビアン・ナイトの「話の中の話」構造が関係してるのかな。
あと3人とも有名な監督による映画がある。まあキューブリックの『ロリータ』(1962年)は時代のせいもあって成功してるとは言えないし、ベルトリッチの『暗殺のオペラ』(1970年)はどこがボルヘスなのかわからないし、タルコフスキーの『惑星ソラリス』(1972年)も原作者のレムは激怒したそうなんで、映画に関してはあまりいいことなかった。キューブリックがレムを、ベルトリッチがナボコフを、タルコフスキーがボルヘスを撮ってたらよかったかもしれない。
ナボコフ『絶望』(1934年)は、チョコレート工場の持ち主で破産寸前だけど自分の文才に関しては誤解している主人公による犯罪小説です。この話の主人公は諸般の事情で「へたくそな作者による、自分を主人公にした小説」になっており、各章の冒頭など、「信頼できない語り手」感満載で、映像化不可能なオチで終わっています。
ぼくみたいな半端なミステリー好きじゃなくて、推理小説中毒な人のこの小説に関する感想を聞きたい。