砂手紙のなりゆきブログ

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古今亭志ん朝の「ね(ねえ)」と柳家小さんの「ええ?」と三遊亭圓生の「スー」はデジタルで消してもらいたい

 落語家で名人と言われている人でも話ぐせというのはあるもので、ね、たとえば素人がインタビューに答えると「そうですね」とか「まあ」とか言いがちになるのと同じようなものです、ねえ。ぼくもテキスト化するときに「まあ」みたいな、ね、あってもなくてもいいような書きグセはないように推敲してます。最近はスポーツマンでも試合後のインタビューに答えなければならないし、政治家は話す(演説する)のが商売だったりするんで、ね、スピーチに関するアドバイザーの専門家なんかもいるわけですが、落語家の場合、特に師匠、名人と言われるような人には、ね、もうこれは誰も「ここんところはこうしたほうがいいんじゃないでしょうか」なんて、ね、誰も言えなくなるわけでして、ねえ。実際に話を聞いてる場合はいいんですよ、ね、実演の場合はそれが気にならない。ただ音盤とか動画になると、ね、一度気になりはじめると気になって仕方がない。その代表例が、ね、志ん朝・小さん・圓生なわけで、ね、ただ志ん朝の場合は話の前フリにある部分では「ね」を多用するんですけど、ね、ネタに入るとあまりそうでもない。また小さんの「ええ?」も晩年のころはそんなに多用しないんで、ね、そうなるってえとやはり圓生の音盤だけが気になるという、ね、しかし勝手に削るわけにもいかないだろうし、これはもう当時の録音責任者の問題ですね。デジタルリマスターしてくれたらありがたい。
(今日は古今亭志ん朝の語り口を真似してみました)