砂手紙のなりゆきブログ

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クレーンで吊るすかレールで移動するか(荒野の用心棒)

 映画『荒野の用心棒』(1964年)の素晴らしいところは、適当に映像が汚いところと、奥行き演出が過剰なところです。
 1960年代から屋外撮影にクレーンが多用されるようになって、人物の近景から画面がどんどん下がっていって、人物を小さく移すという手法が定着しました(しすぎて、今では何かのパロディ=過剰な引用)にしか思えなくなってきて、特にこの映画の前後から「この監督はこの手法を過去の作品のリスペクト・オマージュとして使っているのか、それともパロディ・ギャグとして使っているのか」というのが気になるようになります(個人的に)。
 日本映画の場合は、人的資源が豊富にあったのか(スタッフの手間賃が安かったのか)、道にレールみたいなのを敷いて、その上のカメラを動かして、歩いている人物が固定して背景が動いているように見える映画が作られました。
 外国でもそういうのないことないんだけど、どうも得意にした監督は思いつかないな。
 話しながら歩くシーンで好きな場面の一つに、『隣の八重ちゃん』(1934年)の、家の前の道を歩くところがあるんですが、なんかこの部分だけ島津保次郎監督ではなく、助手の木下惠介が撮ったように見えて仕方ない。
 木下惠介監督は移動が好きな人でした。
 一番有名だと思うショットは、『二十四の瞳』(1954年)の、港を泣きながら歩く子と出て行く船のシーンですかね。