砂手紙のなりゆきブログ

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小説はソナタ形式で書こう(白毛)

 井伏鱒二白毛」(1948年)は、二つの主題があります。「白毛」と「釣り」。
 まず冒頭で自分の白毛(白髪)とその太さについて、釣具店の人と話したことが語られます。
 次の段は「最近、私は屈折している場合が多いのである」とはじまり、机の前で髪の毛を抜きながら、不快な過去に起きた出来事を思い出します。ここまでが序奏・提示部。
 そして去年の六月下旬か七月上旬のこととして、釣りのテグスを忘れた二人の若者に頭の毛を無理やりテグス代わりに抜かれる話が入ります。この話は誰でも知っているだろうから、展開部のこの部分を話しても問題ないかな。けっこう長いとんでもない展開です。
 そして、「思い出すたびに腹が立つ」と、この話を今年の六月の鮎の解禁の日、伊豆の伊東から河津浜までバスに行く途中、年長だが髪の毛の黒い(染めている)釣り人に話したことになってます。
 相手の男は、メダカ釣りという変なことをやっていた時代のこととして、テグスの代わりに「よその娘さんたちの額の生毛(うぶげ)」をもらっていた、ということで、少しエロい話が入ります。
 最後に書き手は、自分の髪(白毛)を抜いて結ぶ癖について「無益無害の手癖であるとはいえ、この手癖を私に植えつけた青年が思い浮かんで来るのでいまいましい。もはや冗談ではない。私はこの手癖を絶対に矯正したいと考えている」と結びます。
 なんていうかな、ビートルズの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」みたいなエンディング。
 話の中で印象に残るのは、バスの中での老人と作者との会話です。

『「このへんには、ずいぶんニワトコの木がありますね。花はみんな満開、咲き乱れているといった風情ですね。あそこの、あの花は何でしょう」
 その男が指さしたのは、ところどころ原野の灌木のなかに栽培されているアブラギリの花であった。
「きれいな花ですね。清楚といった風趣だ。あれを、庭に植えたらどんなものでしょう。やあ、とてもきれいだ」』

 この一節があるため、だいたい今ごろの季節になるとこの短編を思い出します。
 釣りの趣味がある人は、鮎釣りの季節になると思い出すんだろうな。