砂手紙のなりゆきブログ

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漫画の技法は小説と同じで、イマジナリーラインなんかどうでもいい(ブラック・ジャック)

 手塚治虫は映画の技法を自分の漫画の中に取り入れたということになっている気がしますが、それはどうなのかな、ということで、秋田書店の公式サイトから、ブラック・ジャック168話「死への一時間」の一ページを拾って来て語ります。

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 これは、ブラック・ジャックドクター・キリコがレストランで会話をするシーンです。
 最初のコマではブラック・ジャックが左でドクター・キリコが右なんだけど…2コマ目でもう、ドクター・キリコが「左」のほうに見えるカメラワークで撮ってる。
 で、3~4コマ目では1コマ目と同じ配置。
 でもって、5コマ目ではブラック・ジャックが右でドクター・キリコが左の構図になってる。
 ハリウッド的映画ではあり得ないような視点(カメラ)です。
 実際にこんなの撮ったら、撮るときにものすごく大変でカメラマンは頭を抱えるし、ハリウッド的編集にしないといけない、ということでフィルムの編集者は頭を抱えます。
 でも、漫画の場合、読んでて特に問題は感じませんよね。
 なぜかというと、5コマ目はブラック・ジャックのセリフが先に読まれるように右上にあって、ドクター・キリコのセリフは後で読まれるように左すこし上にあるから。
 つまり、セリフ優先でアングルは別問題(イマジナリーラインなんかどうでもいい)。
 そして、6~7コマの、素晴らしい「フレーム外からの演出」が決まります。ここで表現したいのは、ドクター・キリコではなく、その話を聞いているブラック・ジャックと、別のところで話を聞いている少年に意味を持たせたいからです。ここらへんは割とハリウッド映画っぽいかな。
 ということで、どんなに頑張ってもなかなか漫画は映画っぽくはならないんですね。
 なったとしても、小津安二郎の映画っぽくなる。
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