砂手紙のなりゆきブログ

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落語「はてなの茶碗」の原案をテキスト化するだけの簡単なお仕事(宿駕籠の寝耳に水の洩る茶碗の掘出し)・その1

 落語「はてなの茶碗」は、京都の骨董商である茶金という人物が「はてな?」と首をかしげた結果が、どうということのない茶碗を千両にしてしまうという、どこをどう取っても上方が舞台の上方落語なんですが(桂米朝は「これは京都の人だからよろしいんで…」って話してる)、元ネタは江戸の話、と春風亭小朝が独演会のパンフレットに書いてたんでちょっと興味を持ちました。
 「落語あらすじ事典 千字寄席」というブログを見たら、以下のように書いてありました。

『原話は、「東海道中膝栗毛」で知られる十返舎一九が文化9年(1812)に刊行した滑稽本「世中貧福論」・中巻の「宿駕籠の寝耳に水の洩る茶碗の掘出し」です。』

 テキストそのものは近代デジタルライブラリーで読めるので、それを転写してみます。滑稽文庫. 第3編、コマ番号19から。

『禍ひは身より出で、福ひは外より出来るやうに思へど、是れとても其身正しからざれば、三年三月寝て待つたとて、果報の来るやうはなし、小道具屋正作、ひとたび、窮鬼に責られたれども、生得質素廉直なるゆへ、終に福神の守護を得て、なす事洪福ならずと云ふ事なし。或時小田原駅迄用事ありとて、供の者一人召連れ、出かけたるが、大磯より駕を雇ひて打乗り行く程に、梅澤のあたりにて、向ふより来る駕と替ゆるにつけて、ナント旦那さま、あの駕と替ます程に、召替て下さりませと、云ふ、正作聞て駕を下りたち、酒銭少々を取らせて、下り駕に乗移れば、其儘かきあげて走る程に、正作が乗たる駕の中に、封じ文一通とり落し有しを見て、是は最前上から、乗て来りし旅人の取忘れし文なるべし、呼返して是をやれと云へば駕かき共口をそろへて、中に金さえ御座らずば、状の一本やなど忘れおいたらままの川、あの図体で是まで乗ってうせおつて、酒手もくれぬ吝い人、打やって置給へと、云ひさま肩を揃えて、かきいだす、正作ぜひなく此状を開き見るに『文言』十兵衛殿被下候に付一筆申入候、彌々御無事珍重珍重、然者我等事、上下共無滞致旅行候且茶入れの繕ひ、留守の中に出来候様お頼申候将又昨日関東の最乗寺へ、参詣致し候道に安卦村と申所の出口に、草堂有之候、我等咽かはき候故立寄茶を貰ひ給候處其茶碗馬上方にて賞翫いたし候、三島茶碗にて、しかも至つて出来宜しく見へ候故、いかさま何ぞ掘出しも有べき所と存じ、見廻し候所、佛壇の間に腰張、勝手口より三枚目の反古慥に定家の三首物と見受申候に付、早速庵主へ貰ひかけ申べくと存じ候へ共、』

 少し長いので続きます。要約すると小道具屋の正作という人が小田原まで用事で駕に乗ったらそこに文書の忘れものがあって、それを読んでみたら(だいたい面白い話はこういう風にしてはじまります)、その手紙の主は関東の最乗寺に参詣したあと、安掛村に庵があって、そこに寄って茶を貰ったところがそれが三島茶碗。定家の書き物みたいなのもある、ということで…。
 最乗寺は神奈川県南足柄市に今でもある寺で、三島茶碗は室町時代末期に伝わった朝鮮の茶碗。

 

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落語「はてなの茶碗」の原案をテキスト化するだけの簡単なお仕事(宿駕籠の寝耳に水の洩る茶碗の掘出し)・その2