砂手紙のなりゆきブログ

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過去は変えられない説と、過去を変えても嫌な未来にしかならない説と、過去を変えても未来は変わらない説

 そもそも多元宇宙論がSFに組み込まれてタイムパラドックス処理として使われるようになったのは、ジャック・ウィリアムスン『航時軍団』(1938年)が最初のもののようであります。
 これは未来が2つある、という話なんですが、それはn個の未来にしてもいいんじゃね? ということで、パラレルワールドが語られることになりました。要するに、自分の父親を殺した人間は、自分の父親が死んでいる未来に戻る。割と未来なんて簡単に変わってしまう、という理論に基づくのがブラッドベリ「雷のような音」(1952年)で、過去を変えようと何度もするとひどいことになるのがあの有名なアニメです(実はたくさんある)。
 過去を変えて別の未来にするのは、今のタイムマシン的発想では簡単すぎるんだよなあ。
 しかし漫画『ドラえもん』の中の、フニャコフニャ夫先生が次回の漫画のアイデアに困って、ドラえもんの借りてきた未来の自分の漫画を読んで「これは使える」と、そのネタで漫画を描くんだけど、「そのアイデアはどこから出てきたの?」というのを考えると、初歩的なタイムパラドックスだけどさっぱりわからない。
 過去に置いてきた懐中時計は、現在から持ってきたのだとしたら、その時計には「過去に戻る以降の、その時点(現在)から先は存在しないことになってて、永遠に閉ざされた時間の中にある」みたいなことになるし。