砂手紙のなりゆきブログ

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チェスタトンと車寅次郎をつなぐ狂人の論理

 山田洋次監督による寅さんシリーズを見ていると、おかしい(面白い)人はなぜ頭がおかしい(狂人)のように見えるのか、について考えさせられます。
 山田洋次の喜劇の中で面白い人というのは、世界を独自に解釈していて、その解釈が実際に世間の人が認識している世界とずれている人で、それが迷惑のもとになれば喜劇で、ひどいことのもとになれば変なミステリーになります。
 変なミステリーの変な犯人は、たいてい頭がおかしい人で、その人の中では整合性が取れていて、その歪んだ世界認識を解釈するのが名探偵ということになります。
 そう考えると、車寅次郎の延長線上に、チェスタトン、特にブラウン神父のシリーズの犯人がいる、みたいに考えて、あー、これは十分おかしな世界認識になるな、と自分で自分に気がつく。
 ただ、そういう頭のおかしい犯人をうまいこと考えるのってすごく難しい。
 ぼくの知っている限りでは、成功している例は『ウサギ料理は殺しの味』(1981年)かな。ピエール・シニアック。 藤田宜永の翻訳で創元推理文庫から出ています。
 頭がおかしい人は、なんか面白い人になってしまうので、本格推理小説になればなるほどユーモア小説に近くなる。
 車寅次郎とチェスタトンの延長線上に『ソラリス』(1961年)があり、車寅次郎とチェスタトンの間にもろもろの変なミステリーがあります。多分ラヴクラフトもその間にある。