砂手紙のなりゆきブログ

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インプットを増やさないとアウトプットは増えないのよね(ばしゃ馬さんとビッグマウス)

 映画『ばしゃ馬さんとビッグマウス』(2013年)は、売れない、というか一度もシナリオが採用されたことがない、新人賞に応募しても一次も通らないで延々とシナリオを書き続けるヒロインが主人公です。彼女の貧しい部屋にはシナリオに関する本と雑誌が置かれ、自分の才能のなさに嘆きながらも、いつでもどこでも彼女はシナリオを書きます。わりと「何のために書くのか」を勘違いして、アウトプットし続けるキャラとしてはよくできていると思うんですが、この話は「ヒロインに共感したり、同情したりするための話なのか?」と、見ている間その疑問が抜けませんでした。殺人犯を主人公にした映画や小説みたいな感じ。誰もレクター博士に共感とか同情なんてしませんよね?
 物語というのは、寂しい人が寂しい人のために書く(作る)もので、一つの話を思いつくのに10冊ぐらい本を読んで、思いついたら関連書を100冊ぐらい読んで、いろいろな人のコネクションでいろいろな人に会って、だいたい話がまとまったらメモを見ながら馬車馬のように書く。
 人に会って話を思いつく人もいるけど、そういう人は好奇心が旺盛な人。
 あと、人に会ってばかりでも、人に会わないで書いてばかりいてもあまりうまくいかない、というのはあるかも。同業者や編集者に会う必要はそんなにない気がする。
 合コンみたいなもので変な人に会ったら、積極的にネタを仕入れる。
 ただ、最近の映画監督って自分でシナリオ書いちゃうのよね。昔もそうか。実際に映画作るより安価だし、企画いくら立てても人気漫画のシナリオ押しつけられたりするし。