砂手紙のなりゆきブログ

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蓮實重彦のアンドレ・バザンに対する憎しみは半世紀にもわたって続いていました

 これに関して話すと長くなりそうなんで、もうそういうのはみんなネットで他の人の長いテキストとか読むといいです。
 要するに、ヒッチコックハワード・ホークスに比べるとフランスのヌーベルバーグの人たちはジョン・フォードを全然評価してくれなかったんだけど、それは全部アンドレ・バザンのせい。
 ちょっとだけ蓮實重彦本人のテキストを引用してみます。全文は「ジョン・フォード『幌馬車』――この贅沢な「B」級映画をどう見るか」でネット検索すると多分見つかると思う。

『21世紀のいまフォードを見ることには、一つの確かな意味があると思います。それは、サイレント期に作家として出発して、トーキーからスクリーンが大型化したカラー時代まで生き延びた作家たちの作品を見ることの意味です。ホークスでもヒッチコックでも、あるいは小津安二郎溝口健二でも同じことですが、いずれも脚本に書かれた物語を演出することにはおさまりがつかぬ鮮やかな透明感が彼らの画面にみなぎっています。それは、ゴダールヒッチコックの『汚名』(1946)の物語は忘れてしまっても、ワインセラーの中に並んだボトルのイメージだけは覚えているという場合のショットの強さにほかなりません。脚本に書かれていたとは思えないショットが意義深い瞬間に挿入されて、それが物語の論理とは異質の領域で作品を活気づけているからです。
 ショットの強さとは、見る目を驚かす凝った審美的な構図とはまったく異なるものです。それは、撮影に入る以前から、一本の映画が生きた画面の連鎖として彼らには見えていたからとしかいえないショットなのです。』

 まあ『汚名』は当然サイレント映画ではないですけどね。
 このあと、サイレント映画を撮ったことがない黒澤明マーティン・スコセッシの悪口とか出てきて面白いんですが省略します。
 ぼくもそこまでジョン・フォードが好きなわけじゃないんですが、アンドレ・バザンのドキュメンタリー映画好きはいったい何だろうかと思った。やっぱり半世紀も前に書かれた(書かれなかった)テキストを憎み続けるなんてことは難しいです。