砂手紙のなりゆきブログ

KindleDPで本を出しました。Kindleが読めるデバイスで「砂手紙」を検索してください。過去テキストの一覧はこちら→http://d.hatena.ne.jp/sandletter/20120201/p1

長谷邦夫の漫画による『東海道戦争』が世に出るまでの長い道

 短編「東海道戦争」は筒井康隆の初期における代表作品で、最初の短編集の表題にもなりました。
 小説の発表は1965年7月号のSFマガジン(実際には5月下旬発売)で、話の内容は東京と大阪が戦争をする話です。主戦場は実際には関西の、山崎の戦いでも有名な大山崎町あたり。
 これを漫画化したのは赤塚不二夫のブレーンで、SFに非常に興味を持っていた長谷邦夫ですが、その話が具体的になってから描きおろしの漫画単行本(新書判コミックス)として1969年に刊行されるまでの紆余曲折は、彼自身が『漫画に愛を叫んだ男たち』(2004年・清流出版)に他の話と混ぜて書いていますので、その部分だけを抽出してみます。
 1966年の冬、長谷邦夫『しびれのスカタン』のフォノシート(ソノシート)を制作したコダマプレスの二枚目編集者・福島(下の名前は不明)のすすめにより、ダイヤモンドコミックスという新書判の単行本企画で「東海道戦争」の漫画化を企画する。
 1966年2月、筒井康隆山の上ホテルで会い、「すべてぼく(長谷邦夫)にまかせてほしい」と言ったため、筒井康隆はムッとするが、それから400字詰め原稿用紙で80枚のシナリオ原作(ミュージカル仕立てにしたもの)を書き上げて持って行ったら豊田有恒平井和正もいて、3人とも面白いとほめてくれるが、描き上げるには1年はかかるだろうと長谷邦夫は考える。
 1967年5月、コダマプレスが過当競争のため倒産し、福島は河出書房に入って中田雅久編集の漫画雑誌「カラーコミックス」の企画を立て、「東海道戦争」の分載(連載)を提案するが、違う原稿を描いて渡したところで1968年に河出書房も倒産する。
 1968年か1969年、小学館の雑誌「ボーイズライフ」の編集者・木下(下の名前は不明)から、増刊号で一気掲載という話を受けるが、雑誌がなくなってしまった(廃刊)ため、「デラックス少年サンデー」での分載はどうか、という話になるが、分載は引き続き断り続ける。ちょっとここらへん、実際に「ボーイズライフ」が廃刊になるのは1969年の夏らしいので時期的混乱があるけど、うまく確認できないのであとで調べたら追記します。「ビッグコミック」の創刊は1968年の2月末で、「ボーイズライフ」とは1年以上重なって刊行してたみたい。
 1969年5月、長谷邦夫赤塚不二夫らとともに初めての海外旅行でグアムに行く。まだ横井庄一さんが見つかっていない時代です(残留日本兵として横井さんが28年ぶりに日本に帰国するのは1972年のこと)。
 1969年8月、ソノシートの縁で木下にすすめられた朝日ソノラマサンコミックス)より、ようやく刊行される。
 矢作俊彦・大友克彦の『気分はもう戦争』(1982年)ってこれに少し影響受けてるかなあ。