砂手紙のなりゆきブログ

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生涯に二度読むべき名著『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)とメタ部分について

 吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』は、戦前の東京の山の手の中学校に通う「コペル君」というあだなの少年と、その叔父さん(母の弟)、それにコペル君の級友たちで話が作られている、なんとも不思議な、いろいろ入っている小説です。
 普通の図書館では児童書コーナーとか、人生論コーナー(何ていうんでしょうかね、ああいったところ)に置いてあって、あまり小説扱いされてないし、何しろ戦前の話なんで今でも読む人はどのくらいるんだろうなあ。
 と思ってたら、アマゾンその他のレビューでもとても読まれてたので安心したというか、需要があるんだ。
 物語は、コペル君がどうしてそう呼ばれるようになったのか、ということで、東京・銀座のデパートの屋上から下を見ながら、叔父さんと話をするところからはじまります。
 そこでコペル君は、ここではぼくたちが下の人たちを見ているんだけれど、その人たちもぼくたちやいろいろな人を見ていたり、いろいろな生活もあるんだろうなあ、と考えて話すと、おじさんは「そうだね。コペルニクスの地動説なんだよそれは」ということで、コペルニクス君からコペル君になりました。
 コペル君はそれから、世の中の仕組み(経済や所得格差)、英雄のこと、東西の文化のことなどについて、おじさんとの会話・ノートなどでいろいろ学び、それを読むことで読者も知らず知らずのうちに学ぶことになります。
 これは北村薫の『円紫さん』シリーズの元ネタみたいな本ですかね。
 北村薫のはまあ、ミステリー的にネタを絞ってますが、こういう教養系小説の伝統って、丸山眞男ぐらいの世代の人を叔父さんとして持ち、いろいろ教えてもらった世代(岩波文庫版のあとがきには、丸山眞男が書いてます)で絶えてしまっている気がするのがもったいない。
 日常の謎系ミステリーは、パズルみたいなもんじゃなくて、本当は「世界はこんなものなのか」「人はこのようにも生きられるのか」という哲学を微分したようなものであるべきだと思う。
 この本を読むのはそんなわけで二度目なんですが、昔読んだ本となんか違うんで首をかしげる。
 コペル君と級友が一緒になって室内遊戯とかで遊んで(遊びの中に「シャーロック・ホームズ」というのがあるけど、何でしょう?)、コペル君が野球の実況中継の物真似をするところが、戦前のテキストを元にしている岩波文庫だと「早慶戦」で、戦後のものは「日本シリーズ(巨人対南海)」になってるんですね。
 コペル君はいいところのぼっちゃんで気がやさしい水谷君(慶応を応援)と、コペルくんと同じくらい背が小さいけど負けん気の強い北見君(早稲田を応援)を相手に、どちらのひいきにもならないように気をつかって実況するんですが、野球なのでどちらかが勝つことにしないとしょうがない。
 でもって最後に慶応が逆転ホームランで2点差で勝利、って言うのに頭来た北見君は、アナウンサーのコペル君に襲いかかります。それをコペル君はこんなふうに実況します。

「ああ、たいへんです。たいへんです」
「ただいま、暴漢があらわれました」
「暴…暴……暴漢は、早稲田びいきです」
「暴漢は……放送を邪魔してます。アナウンサー……ただいま……懸命の放送!」

 ここの部分は昔読んだときと同じように、思わず吹き出してしまった。
 ただ、昔読んだときは、少年時代のいじめに関する嫌なエピソードもあって、ちょっとそれがつらかったのよね。まあおとなになって読めばわかります。
 あと、この話ではお父さんはいいところの会社の重役で、もう死んでしまってて話に出てこないんだけれど、お母さんとはどういう出会いをしたのか(多分当時のことなんで見合いなんでしょうね)、お互い別に好きな人はいたんだろうか、弟である叔父さんは姉の好きだった人を知っていたのだろうか、とか、おとなになるといろいろ考えてしまいます。
 女学生時代のお母さんが、湯島天神の裏を通るところとかね、もう。
 それから季節ごとの風景・自然描写がすばらしくて、いったいこの人、どこでどんな文章修行をしたんだろう。
 P.A.WORKSの背景で、アニメで見たい。

 

 はてなブログ今週のお題「人生に影響を与えた1冊」みたいになったけど、まあいいか。