映画『十二人の怒れる男』の、少年の父親を殺した真犯人は誰か
(以下ネタバラあるので注意)
一応、キャラの性格などについては、ぼくのきのうの日記やウィキペディアを参考にしてください。
映画『十二人の怒れる男』(1957年)では最後に、容疑者である少年の殺人に関しては、その少年が殺したと確証するに足りる十分な証拠が得られない(ナイフと目撃証言では無理)ということで、陪審員は無罪ということで意見が一致します。
で、この映画を最初に見た人は普通不思議に思いますよね。
じゃあ真犯人(本当の殺人者)は誰なの? って。
何回もこの映画を見た人ならそれはある程度わかるようになってます。
最後まで容疑者の有罪を主張した3番の息子が真犯人で、その息子と容疑者とは友人。
いつもひどい目に会っている容疑者を助けようと思って、3番の息子はつい殺して逃げてしまう。
容疑者の少年はもう、その子とは仲よしだし、むしろ自分のようなやくざ者が、その子の罪を背負って死刑になったほうがいいと思ってる。
3番(真犯人の父親)は電話か何かで息子から話を聞いて真相を知っていて、息子をかばうために合理的な疑いを認めない。
最後に泣くのは、息子とその友人の少年のための涙です。
なんかそう考えるとすごくいい話ですよね。この友情と親子の愛情。
しかしこれは嘘です。
本当は9番の老人がプロの殺し屋で、依頼を受けて、誰が犯人かわからないように殺した。
あんな飛び出しナイフは特殊なようでも実はどこでも誰でも買えるようなものだし、飛び出しナイフを扱い慣れてると思われないように、わざと上から下に刺した。
8番の話を聞くことにしよう、とまず言いだしたのは、なんともかんとも自分の力では容疑者の無罪を証明することが難しいんで、この人だったら何とかしてくれるかも、と思ったんですね。
8番が少年を無罪にする原因が「真犯人を知っている」じゃなくて「犯人とする根拠がとぼしい(有罪に疑問を感じた)」だったんで、ああ、これなら大丈夫、俺を犯人とは思ってないな、って。
老人に金を出したのは経営者ではなく、貧しい労働者である5番・6番・11番の人。サービス価格で老人は引き受けました。その3人は老人の言動から察して、意見を変えました。
5番の働いている工場は雷の製造と販売をしていて、6番は窓の外の壁に、いかにもそこから見えるようなビル街を描いて(嘘だと思ったら映画見なおしてみるといい)、11番は2番がはかる時計を、少し遅くなるように細工した(映画の中では「41秒」って言ってますが、実際にはかると31秒なんです)。
まあこのあたりは嘘ですけど、ラストの、部屋を出てからの9番の行動に意味があると思うんですよね。
9番の老人は8番の男に声をかけ、名前を聞き、自分も名乗ります。
これは「今度なにかやるときには、この男には用心しよう」って気持ちですね。
さらに最後のショット、裁判所から出てきて雨上がりの路上、一番最後まで映画に写るのは、その9番の老人。
これはもう、この映画の犯人ではなくても、主役は8番じゃなくて9番だってことは誰にだってわかる。