砂手紙のなりゆきブログ

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悪というのは何かが過剰な状態なんじゃないかと思う(ヒッチコック)

 最近ちょっと「悪」というものについて考えます。
 そのためにはそれに対立する「善」について考えないといけないんですが、それは多分「中心の点から等距離の線」、つまり「円」です。
 だから「悪」は「中心の点から等距離になっていない線」あるいは「中心の点が素人にはわかりにくい線」です。
 たとえば、公園で遊んでいる子供の声がうるさいとします。たとえばそれは、そう感じる人にとっては「声の過剰」、つまり「悪」。
 だからといって、公園で遊んでいる子供をショットガンで撃ち殺すような人は、「正義の過剰」です。
 正義の人がうさんくさいのは、それの過剰についてはなかなか自分では気づかないことです。
 悪役を演じるためには、何かを過剰にしてみるとそれっぽくなる。
 しかし考えてみると「過剰ではない悪人」というのもいて、それは「過剰に過剰すぎない人」です。
 役者の演技、小説家の小説の究極の理想はその、「過剰に過剰すぎない人」の創造です。
 で、まあまたヒッチコックの映画の話になっちゃうんですが、だいたい彼の失敗作は「過剰すぎる人」を主役にしてみた映画です。
 具体的には…『めまい』(1958年)かなあ。
 ごめん、最後にひどいこと言った。