聞いている人を多く出すと佐藤順一っぽくなり、話している人を少なく出すと長井龍雪っぽくなる
なんか適当なことを書いてますが。
どうも「聞いている人を出す」という手法は、少女漫画っぽく見えるんですよね。
たとえば、「おれが本当に好きなのは」という男子のセリフのあと、ヒロインのアップになって、「お前だよ」というセリフがつく。
佐藤順一監督のアニメは、なんかどこか少女漫画っぽくて、長井龍雪監督のアニメは、そういう少女漫画を読んでいる男子みたいな気になります。だから少し佐藤順一のアニメは恥ずかしい(ぼくにとって)。ここまで恥ずかしく作ることはないだろう。
アメリカ映画との文法の違いは、たとえば『アメリカン・ビューティー』(1999年)なんかが顕著なんですが、見てると「どうも話してる人を写してるところが多くなくない?」と不思議な気持ちになります。
途中で眠くなる映画がたまにあるのはそのせいか(注:『アメリカン・ビューティー』は別に眠くはなりません)。
ゼロ年代の映画についてはまた別の記事にします。