砂手紙のなりゆきブログ

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後期クイーン問題と3台のカメラ

 スマホ程度のカメラを持っている人が3人いると、面白いことができます。
 ひとりが何かを撮っていて、もうひとりがその人を撮っていて、もうひとりがその「撮っている人」を撮る。
 そうすると、撮っている人が同時に撮られる人にもなって、「カメラ内カメラ」というメタな演出になります。
 で、その3人めの人間が4人めを想定して、「俺はひょっとしてふたりめを誰かに撮らされてるのではないか。ふたりめは本当にふたりめなのか」と考えはじめたのが後期のエラリー・クイーンです。
 最初のひとりが被害者、ふたりめが犯人、3人めが探偵ですね。
 映画の中の映画というのは、トリュフォーの『アメリカの夜』(1973年)がいい例ですが、「映画内映画を撮った映画は、誰によってどのように撮られているのか」というのが気になります。
 なお、3台のカメラ(スマホ)による映像は、次のような方法で解決できます。
 ひとりめが、3人めを撮っている。
 つまり、AがBに撮られていて、BがCに撮られていて、CがAに撮られている。
 …なんかよくわからなくなってきましたね。
 このメタ構造は、ふたりでも可能です。つまり、お互いに相手を撮る。
 さらに、ひとりでも可能です。鏡を使って撮っている自分を撮る。
 でもそうすると、「撮ってる俺は確かに俺だが、撮られてる俺はいったい誰なんだろう?」という落語「粗忽長屋」みたいなオチになりますね。

参考記事:

sandletter.hatenablog.com