砂手紙のなりゆきブログ

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冷戦時代の恐怖は核の恐怖と知らない隣人の恐怖(生きものの記録)

 ホラーとSFは、その作品が作られた時代を背負っています。
 ベルリンの壁が崩壊してもう4分の1世紀ぐらいになる今となってはなかなか信じられないことですが、1950年代には核戦争の恐怖を題材にした映画と小説がよく作られました。具体的には『渚にて』(小説は1957年、映画は1959年)とか、『生きものの記録』(1955年)とかですかね。何よりも『ゴジラ』(1954年)か。
 もう一つの題材は、冷戦と集合団地・郊外型住宅の普及による、知らない隣人の恐怖です。
 知らない隣人が宇宙人かもしれない、という妄想は、隣人との接点を持たなくなった時代(郊外から都市部の、お互い関係のない会社に勤める会社員が増加した時代)と、隣人がソ連のスパイかもしれない、というハリウッド映画的な妄想によって作られました。
 1960年代に発刊された小松左京のショート・ショート集の題名が『ある生きものの記録』(1966年)だったり、小松左京が最初に連載(というか、ショート・ショート連作)をはじめたのが団地ジャーナルという雑誌だったり(1961年11月より)、当時の核と隣人の恐怖についてもう少し知りたいものです。体感として知るのは、もう無理なんですけどね。
 現代的な恐怖は、認識のずれ、というか、複雑化です。うまく言えないんだけど、解釈の多元化かな。これに関してはもう少し別の記事でまとめたいです。