砂手紙のなりゆきブログ

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映画にはなぜ映画音楽が必要で、映画音楽のない映画はどのようなものになるか

 映画音楽には、その場の雰囲気を表現するムード音楽と、そのキャラの性格と、映画そのものを表現するテーマ音楽があります。
 おおくのテーマ音楽は、映画に音が入れられるようになった時代にはすでにレコード(音を安価に個人対象に提供する仕組み)があったので、関連商品みたいな感じで売られて、ものによってはけっこう儲かりました。
 割とぞんざいに映画音楽を扱った監督としてはジャン=リュック・ゴダールが有名で、彼と作曲家ミシェル・ルグランとの関係を、菊地成孔は『ユングのサウンドトラック』(河出文庫、2015年)の中で面白おかしく語っています。あまりにも面白いんでまた機会があったら適当に引用するか要約して記事にしたいと思いますが、今のところゴダールに関してはそんなに熱心に見ていないので言及できないのです。
 で、この本の中で菊地成孔は、映画の中に音楽を使わない監督・作品として、ルイス・ブニュエルの晩年の3作品、『ブルジョワジーの密かな愉しみ』『自由の幻想』『欲望のあいまいな対象』を挙げて、シュルレアリスムの作家だったブニュエルは、夢みたいな映画を作りたかったんじゃないか、と推定します。
 だいたいの人は、夢の中で自然音や会話などを聞きますが、BGMなんてものは聞きません。
 それは、日常生活がそうなっているからで、がっかりしたときとか元気になったときにすてきなBGMが流れたら、うるさくって仕方がないことはドラえもんの「ムードもりあげ楽団」でもわかります。
 このキャラが出ているときにはこの音楽、というのはとてもわかりやすい技法で、その最良のものはむしろ美少女ゲームに引き継がれ、必然的にそれをアニメ化したものにも引き継がれることになります。
 ゲーム・アニメキャラが夢に出てくるような人の場合は、夢の中に音楽が流れてるかもしれないなあ。