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砂手紙のなりゆきブログ

KindleDPで本を出しました。Kindleが読めるデバイスで「砂手紙」を検索してください。過去テキストの一覧はこちら→http://d.hatena.ne.jp/sandletter/20120201/p1

三船敏郎が本気で怒ったこと(椿三十郎)

 三船敏郎は常に撮影の一時間前にはスタジオ入りをしていて、台本はすっかり暗記しているので持ち込まず、いくら待たせても「役者は待つのが仕事だ」と、職人のような役者でした。
 映画『椿三十郎』(1962年)では、つかまった若者たちを助けるためにひとりで数十人を斬るという、あっけにとられるしかない剣の腕を見せるんですが、撮影がおこなわれたのは冬のさなかで、斬られ役は斬られたままじっとしていなければならず、城の若侍役の田中邦衛たちは出前のラーメンを食べながら出番を待っていました。
 助けられた若侍四人に、軍隊で鍛えられた三船敏郎はそれから、本気でビンタを喰らわせます。
「てめえ達のお陰でとんだ殺生したぜ!」
 撮影後、三船敏郎は「この寒い中、血糊まみれで転がってる役者(エキストラ)もいるってのに、てめぇたちは何だ馬鹿野郎!」と説教をして、若者一同は本気でシュンとします。
 殴られてる四人の顔は、本気で殴られてる人の顔なので、見る機会があったら見てください。
 三船敏郎高峰秀子黒澤明に推薦して、審査委員長の山本嘉次郎が「ああいう風変わりなのが一人くらいいてもいいだろう」と言って東宝のニューフェースに採用されたということになっていますが、『サムライ 評伝三船敏郎』(松田美智子、2014年)によると、キャメラマン山田一夫が「あの体なら機材運びに使えるな」と、審査員の一人の三浦光雄キャメラマンに話し、デビューの修行中にたまたま電車の中で一緒になった谷口千吉監督(見習い)と藤本真澄プロデューサーが三船敏郎を見て「ああいうの使いたいな」「うちのニューフェースだよ」ってことで、うまいこと映画『銀嶺の果て』(1947年)でデビューし、機材運びの期待に応えました。
 要するに、岡本喜八監督と同じ東宝山岳部出身です。
 黒澤明はその映画を見て「三船はいいなあ。次は俺に貸してくれよ」ということになって、映画『酔いどれ天使』(1948年)から『赤ひげ』(1965年)までの長い関係が生まれることになりました。
 高峰秀子三船敏郎稲垣浩の映画『無法松の一生』(1958年)で共演し、ニューフェース審査時の「恋人役としてコンビを組めるような男」を選んだようなことになりました。
 撮影は山田一夫です。